これは、テンプレ世界史ヨーロッパ編『フランスの国王【早覚え完成】A』の続きB段階です。
各事績ごとにゴロ合わせを用意してあります。音声で耳からも覚えやすいようにYouTubeに教材を上げています。こちらです。『年語呂年註』目次ページはこちら。
また、ゴロ合わせの基本的なルール(規則)についてはこちらを参考にしてください。
[メロヴィング朝]
[カロリング朝]
→シャルル2世
[カペー朝]1
[ヴァロワ朝]2
↓
③ フランソワ1世 (1515)
↓
④ シャルル9世(母カトリーヌ=ド=メディシス)
[ブルボン朝] 3
↓
② ルイ13世(子)
↓
③ ルイ14世(子)(太陽王)タイヨー→14
↓
④ ルイ15世(曽孫)
↓
⑤ ルイ16世(孫)
↓
⑦ シャルル10世(弟)
↓
[オルレアン朝]
B段階
・A段階で覚えた国王名にその代に起こった事件や事績の年号ゴロ合わせを付け足しました。
・YouTubeの教材は、聞いていただけたでしょうか?ほぼ、上に書いてあるゴロ合わせの通りになっていると思います。文字で見ると一見ゴロが悪そうなフレーズでも、音声で聞くと意外とリズムがあると分かってもらえると思います。
・フレーズの意味が分からないと覚えられないのは当然ですので、次の節に簡単に各フレーズの説明がしてあります。読んでみてください。
* 内容は、原則的には教科書に書いてある内容を基準にしています。
[メロヴィング朝]
①クロヴィス(481)
481(ヨワイ)「ゲルマン一国齢の長いフランク王国」
*フランク王国の成立年です。大移動の後成立したゲルマン人の国は全て滅亡しますがフランク王国のみ後の時代まで残るということで『齢(よわい)の長い』となります。
(宮宰カール・マルテル)
→トゥール・ポワティエ間の戦い(732)
732(ナミニ)「波にのるマルテル活躍トゥール・ポワティエ」
*カール・マルテルの時代についてはトゥール・ポワティエ間の戦いで代表しておきます。
[カロリング朝]
①ピピン
・メロヴィング朝を廃してカロリング朝を開く(751)
751(ナコーヒ)「泣こうひどいなメロ朝廃位で小ピピン」
*メロ朝(メロヴィング朝)側に立った語呂合わせです。
・ランゴバルド破りローマ教皇にラヴェンナ寄進(756)
756(ナコロ)「ラヴェンナ頃見て教皇領」
*ラヴェンナの土地を『頃合いを見て』教皇領として寄進したということです。
②カール大帝(シャルルマーニュ)
1.ランゴバルド王国征服
774(ナカナカシ)「中々しぶといランゴ滅ぼすカール帝」
*イタリアのランゴバルド王国を滅ぼしました。
2.アヴァール遠征
791(ナクヒト)「泣く人助けにアヴァール遠征」
*パンノニア(現ハンガリー)のアヴァール・カガン国に遠征しました。
3.カールの戴冠
800(ハレテオー)「晴れて王冠カールに授けるレオ3世」
*正確には『帝冠』で『王冠』ではちっと具合が悪いのですが、大目に見て下さい。レオ3世はカールに帝冠を授けたローマ教皇です。
フランス
[カペー朝]
①パリ伯ユーグ・カペー即位(987)
987(クワナ) 据え膳は食わなとパリ伯王位継承
*『据え膳』とは『フランス王位』のことです。『据え膳』を据えられたら『食うしかない』フランス王位につけるならそりゃ『つくしかないっしょ』ということです。
②フィリップ2世即位(1180~1223)
1180(ヒトヒトハレ) フランスの人ひと晴れのフィリップ2世
*ともかくフランスの半分近くも広がっていたイギリス領の大部分をまんまと奪ったのですから国内で『偉大な国王』とされるのは当然です。フランス国民の心もぱっと一晴れに晴れる存在ということです。『教科書そのまま系』を参考にしてください。
③ルイ9世(1226~70)
1226~70(ヒトツニム~ナオ) フランスは一つに向かうもなお道半ば
*音声教材には入れていませんがルイ9世の在位期間を追加しておきます。
・アルビジョワ派を征服南フランスに王権広げる。(アルビジョワ十字軍終結)
1229(ヒトツツク) 1つつく息アルビジョワ
*終結の年です。やっと終わって『一息ついた』という意味です。
・ルブルックをモンゴル高原に派遣。→『教科書そのまま系』参考
1253(ヒトツッコミ) ルイ9世はモンゴルに人突っ込み同盟打診
*『人突っ込み』の『人』はルブルックのことですね。『教科書そのまま系』を覚えていれば分かります。
④フィリップ4世(1285~1314)
1285~1314(ヒトツヤコ~イサイヨー) 教皇もフランス1つや来い採用
*音声教材には入れていませんがフィリップ4世の在位期間を追加しておきます。
・三部会の承認のもと教皇と争う。
1302(ヒトサマニ) 三部会の人様に支持得てローマに挑戦す。
*ここまで『教科書そのまま系』で扱っていますね。
・ボニファティウス8世を連れ去る(アナーニ事件)
1303(ヒトサレーサ) 仏王まるで人されーさ(人さらいさ)
[ヴァロワ朝]
① フィリップ6世(1328~50)→百年戦争(1339)のきっかけ
1328~50(ヒトミニワコレ) フィリップ6世瞳にはこれヴァロワ朝
*音声教材には入れていませんがフィリップ6世の在位期間を追加しておきます。
・百年戦争
1339(ヒトサンザン) 人散々苦しむ百年戦争
*百年戦争はイギリスのエドワード3世がフィリップ6世のフランス王位継承に異を唱えたことから起こりました。『教科書そのまま系』を参考にしてください。
② シャルル7世即位 (1422~61)
1422(ヒトヨニツヅク) 危機脱し人世に続くフランス王
*当時フランスのヴァロワ朝は滅亡の危機にありましたが、ジャンヌダルクがオルレアンの包囲を破ったことがきっかけで危機を脱しシャルル7世は戴冠がかないました。
③ フランソワ1世即位 (1515~47)
1515(イッコイッコ) 1個1個ハプスブルクと領土争うフランソワ
*教科書ではハプスブルク家とフランス王家の対立をテーマに扱われているので、即位年ですがこの語呂合わせです。
・カトー=カンブレジ条約(イタリア戦争終結)(1559)
1559(イーココク) いー?ここくんなよカト・カン条約
*フランスはイタリアを放棄し、代わりにロレーヌを得ることでハプスブルク家と講和しました。お互いに領域が確定したということで『いい?もうここくんなよ』ということです。
④ シャルル9世(母:摂政 カトリーヌ=ド=メディシス)
・ユグノー戦争始まり(1562〜98)
1562(イゴムリニ) 以後無理に我通すユグノー戦争
*旧教・新教の争いは以後殺し合いになったということです。
・サンバルテルミの虐殺(1572)
1572(ヒトコンナンニ) 運命の人困難に会うサンバルテルミ
*運命の人とは後に王位を継ぎ、ユグノー陣営の盟主であったにもかかわらずカトリックに改宗した上でナントの王令を発することになる『アンリ4世』のことです。サンバルテルミの虐殺は彼と王妹マルグリットとの結婚式に際して起こりました。
⑤ アンリ3世(1574〜1589)
・アンリ3世暗殺
1589(イゴハクシ) ヴァロワ断絶以後白紙
*シャルル9世の後を継いだ弟のアンリ3世が暗殺されたことでヴァロワ朝が断絶します。
[ブルボン朝]
① アンリ4世(1589~1610)
1598.4.30 ナントの王令
1598.4.30(イッコクハヨミレ) 一国はよ見れナントの王令
・アンリ4世暗殺
1610 ヒーローと思たら暗殺アンリ4世
*アンリ4世の没年はルイ13世の即位年なので一応付け足しておきます。
② ルイ13世(子)(1610~43)
・三十年戦争(1618~48)
1618(ヒロイワ) 被害地広いわ三十年戦争
*被害地はドイツです。ピッタリ30年足すとウェストファリア条約になりますが、フロンドの乱が起こった年で、すでにルイ14世の代になっています。
③ ルイ14世(子)(太陽王)タイヨー→14
1643〜1715(ヒトムシサイーナイゴ) 異見する人無視さいーな以後
*フランス絶対王政のシンボル、ルイ14世の在位期間です。実際に『異見する人無視さ』と言いきれるようになるのは宰相マザランの死後、親政をはじめてからで、20年くらい先です。
*参考:マザランの宰相期(1643~1661)『功績は広し見ぃ人、室(むろ)一番』
・フロンドの乱 (1648~53)
1648~53(ヒーローヨワ~コーサン) フロンドのヒーロー弱くて降参す
*これは据え置きにしていたので音声教材には入っていません。砕けすぎた語呂ですがたまにはこういう安易なものもいいかなと思いそのままです。
・ナントの王令廃止(1685)
1685(イムヤコレ) ご先祖の深意無やこれ王令廃止
*別にルイ14世に偏見はないのですが、多くの人の血を流してアンリ4世時代にやっと出された『ナントの王令』を簡単に廃止してしまったというところから『ご先祖の深い配慮だいなしやん』という語呂にしてみました。
・1700年 孫をスペイン国王フェリペ5世とする→スペイン継承戦争(1701〜1713)
1701〜1713(ヒトナオヒトビトナンジュウサ) 勝手な人なお人々難渋さ
*ルイ14世と言えば、当時最強だったフランスの軍事力を背景にやりたい放題に侵略戦争に手を出したという感じですが、スペイン継承戦争もその内の一つということで『なお人々の難渋は続きました』ということです。
④ ルイ15世(曽孫)
・オーストリア継承戦争(1740~1748)
1740(イーナヨレ) テレジアにたかりたい奴イーナ寄れ
*教科書から作った語呂なのでそのままの意味です。オーストリアのマリアテレジアがハプスブルク家の全領土を継承したことにプロイセンのフリードリヒ2世が『ちょいそれはおかしんちゃうのん』と難癖をつけてバイエルン公やルイ15世やらを誘って、俺らにも分け前よこせや的に始めた戦争です。これは8年戦争で、次の7年戦争と合わせて『ヤナ戦争』です。
・七年戦争(1756~1763)
1756(ヒトシチネン) 七年戦争人七年殺し合う
*そのまんまの意味です。7年足せば終戦で英仏間はパリ条約です。七年戦争だけでなく、北アメリカ大陸のフレンチ・インディアン戦争とインドのカーナティック戦争の講和条約でもあります。『何がいいんかな(ナンがイン・カナ)?パリ条約』と覚えましょう。
⑤ ルイ16世(孫)(1774~1793)
・フランス革命→人権宣言(1789)
1789(イーナヤク) イーナ約束人権宣言
*これも有名な語呂合わせですね。
・ジャコバン派の政権下で処刑
1793(ヒトナクサ) 王の人泣くさギロチンジャコバン派
*ギロチンは泣きますねさすがに。1月21日です。『即位初めは非難なし(1774)』だったのですが。
*ついでに、同じ年の6月2日に国民公会は、ジロンド派からジャコバン派の独裁に変わりますという語呂です。
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ナポレオン帝政(第一帝政)→YouTube版『ナポレオン戦争年語呂』
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⑥ ルイ18世即位(1814)
1814(ヒトハイヨ) 対仏の人はいよいよパリ占領
1815(ヒトハイリコ) 流されたはずの人入り込みワーテルロー
*これらはどちらもナポレオンの年号語呂ですが、ルイ18世の即位年に転用できます。ナポレオンの100日天下で中断しますがほぼ10年間在位しました。
⑦ シャルル10世
1830 七月革命→亡命
1830(ヒトハサレ) ブルボン朝の人は去れ
*七月革命によってブルボン朝は完全に終わります。ということでシンプルな語呂です。
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[オルレアン朝]
①ルイ=フィリップ(自由主義者)
・七月王政
・二月革命→亡命
1848(ヒトハシアワ) 欧州の人は幸せ求め革命
*これはフランスに限らず『1848年革命』全体の年号語呂合わせです。
*フランス革命→七月革命→二月革命の順です。忘れそうな場合は『フランスの後は、何(ナニ)月革命?』と覚えましょう。何月か尋ねたらそれが答えだった、という感じです。