教科書レベルでいきます。山川出版の世界史の教科書から、本文に言及されているオスマン帝国スルタン(皇帝)と主な事件を抜き出してみました。
このページのねらいは『これらのオスマン帝国スルタン(皇帝)名を丸ごと覚えてしまう』ことです。
→『テンプレ世界史』目次
[オスマン帝国]
1299 オスマン建国
「欧州の人憎く思うオスマン建国」
→もとは小アジア(アナトリア)の小君候国。
→ビザンツ帝国、マムルーク朝など征服
オスマン→オルハン→ムラト1世
↓
1366 アドリアノープル遷都 (ムラト1世)
「バルカンにいざ室築くアドリアノープル」
↓
①バヤジット1世
1396 ニコポリスの戦い
「独仏も引っ裂く無残にニコポリス」
1402 アンカラの戦い (対ティムール朝敗北)
「オスマンの意思を潰せるティムール朝」
↓
②メフメト1世
1412 帝国の再統合、失地を回復
「敗北前と等しー1つの国にする」
↓
③メフメト2世
1453 コンスタンティノープル陥落
「滅亡に等しー降参コンスタンティノープル(陥落)」
↓
④セリム1世
1514 チャルディラーンの戦い (対サファビー朝)
「イラクの地、以後等しくオスマン領」
1517 エジプト征服
「以後いなくなるマムルーク朝」
↓
⑤スレイマン1世
1529 第1回ウィーン包囲
「一向に苦もなくウィーンを包囲する」
1538 プレヴィザの海戦
(対スペイン・ヴェネツィア連合艦隊)
「西欧の人降参やプレヴィザ海戦」
↓
⑥セリム2世
1569 カピチュレーション
→フランス商人に領内での居住と通商の自由
「わざわい語録のカピチュレーション」
1571 レパントの海戦
「オスマン勢力以降ないって訳じゃない」
全体像
① まず、上の皇帝(スルタン)の名前が全部言えるようにします。これがこのページの目標です。これをAとします。
② 更に、それぞれの皇帝にその代に起こった主な事件を結びつけて、ゴロ合わせで年号も覚えてしまいます。これでオスマン帝国の歴史のおおまかな絶対軸ができる訳です。これがBです。
A段階
⑴ 上の『まとめ』には様々な皇帝の名前が書いてあります。今回はこれらを全部まとめて「フレーズ」で固めてしまいます。これでとりあえずこのページの目的は達します。
*YouTubeにあげている「専用の音声教材」を使います。フレーズはこれです。
① はじめの「バヤジ」が「バヤジット1世」です。
② 次に「メ」が2回続いているのが「メフメト」でそれぞれ「メフメト1世」と「メフメト2世」です。
③ 更に「セ」は「セリム」で「セリム1世」。
④ 次の「スレセリム」は「スレ」が「スレイマン1世」「セリム」はそのままですが出てきたのは2回目なので「セリム2世」となります。
⑤ 今回のフレーズには数字の情報が一切入っていません。最初に出てきたら『1世』2回目に出てきたら『2世』これでいけるからです。
⑵ A段階は以上で終了です。と言いたいところですが、上のスルタン(皇帝)名だけでは、残念ながら教科書本文に出てくるスルタン(皇帝)名全てを覚えたことにはなりません。上の『まとめ』ではオスマン海軍がスペイン・ヴェネツィアなどの連合海軍に敗れた「1571 レパントの海戦」までしか扱っていません。
つまり、オスマン帝国の歴史の中でも比較的に『良かった頃(前半)』しか扱ってないことになります。オスマン帝国には西欧諸国に完全に後れをとり、懸命な近代化の努力をするも衰退をまぬかれず『瀕死の病人』とからかわれた後半の歴史があります。教科書に出てくるオスマン皇帝は以下の様な感じです。
① アブデュルメジド1世
↓
② アブデュルハミト2世
↓
③ (アブデュルメジド2世:トルコ革命後『カリフ』→廃位)
アブデュルメジド2世はトルコ革命の後、選出された最後の『カリフ』で、先代のメフメト6世の時点ですでに『皇帝』は廃位されています。その後、トルコ共和国は政教分離を決定したため、宗教上の『カリフ』も廃止され、アブデュルメジド2世は国外追放されてパリで余生を過ごしました。1世と一緒に覚えられるので、覚えておいてあげましょう。
①と②の皇帝は教科書に載っていますが、『教科書そのまま系』のフレーズが作ってあるので丸ごと覚えてしまいましょう。こちらです。長く覚えておくのが難しそうな名前はこのようにそのままフレーズに織り込んでしまうと『完ぺきに』覚えてしまえます。時間をおいてもすぐに思い出せるので結果的に効率が良いということになります。