ミャンマー(ビルマ)の王朝年語呂【年号ゴロ合わせ】

テンプレ世界史ミャンマーの王朝の変遷おまけページです。まだ、覚えてない方は、解説だけでも読んでおくとスムーズに進めます。(クリックで開きます)
このページでは各王朝の成立した年と滅亡した年をゴロ合わせで覚えていきます。

*音声で耳から覚えるためYouTubeに教材を上げています。こちらです。文字だけではリズムをつかみにくいフレーズもスムーズに覚えられます。ぜひ一度聞いてみることをお勧めします。  →『年語呂年註-目次ページ


[ピュー文化圏](ピュー族)

*古代ミャンマーのエーヤワディー川流域一帯、各地に城郭都市を築いて栄えました。
領域はミャンマーの中央部全域になります。

*中国の書物に『驃・剽(ピュー)』などの漢字を当てて書かれています。驃国には君臣、父子、長幼の序が存在していたと記されています。
*7〜8世紀シュリークシェートラが中心です。

 ・南詔から攻撃される
832 南詔がピューの都市群八ツ裂

ー 9世紀〜11世紀 200年の空白の時代 ー


[パガン王朝]

*ピュー(驃)もビルマ系とされますが、ビルマ人の最初の統一王朝がパガン朝です。
*もと、南詔の兵として南下して上ビルマのピューを征服したビルマ人を先祖とするとされます。

・ビルマ人の定住
849 とりま端くれパガンに定住
*その後、先住のピューを取り込み、南方のモン人を征服して王朝が成立しました。


・成立〜滅亡
1044〜1298 ワシも歳よとここに居着くわパガン朝
*アノーヤター王が実質的な最初の王です。伝説では44代目の王なので『アノーヤター、一応44代王』という覚え方もあります。
*ビルマ人はピューの影響で農耕・仏教を知り、さらに南方のモン人のタトゥン王国を制圧することで、モン人の進んだ上座部仏教文化を吸収。首都パガンに多くのパゴダ(仏塔)を作りました。

・元のフビライの攻撃を受ける
1287 悲痛やなパガンの都も元の的
*フビライの派遣した元軍に首都パガンを破壊されほぼ滅亡に近い状態となりました。
*以降の分裂状態の中から頭角を現したのがペグー王朝です。

[ペグー王朝](モン人の王朝)

1287〜1539 モン人一つの花が以後咲くペグー王朝→『モン人(ペグー人)の王朝年語呂
*エーヤワディー川下流域(下ビルマ)を拠点として成立しました。これ以後も上ビルマのビルマ人と下ビルマのモン人との葛藤でビルマ史が作られます。


[タウングー王朝]

・成立・滅亡
1531〜1752 越さいいなタウングー
*タビンシュエティー王が建国しました。モン人のペグー王国を併合してビルマを統一し、更にタイやビルマにも侵攻して領土を拡大しました。タビンシュエティーが『旅をして得たタウン(街)グー(good)』ということです。
*晩年にタビンシュエティー王はモン人に融和的な態度を示したため結果的にモン人の勢力が強まりました。

・緬泰戦争(ビルマ=タイ戦争)
1548 以後世は戦国緬泰(めんたい)戦争
*再び国内のモン人やシャン人(タイ系)の勢力を抑えたバインナウン王が、アユタヤ王朝(タイ)に侵攻することで始まりました。第一次から第三次まで続き、アユタヤ王朝(タイ)は、タウングー王朝の属国となることを一応認めました。



・アユタヤ王朝の侵攻
1594 ビルマの地一国寄こせとアユタヤ王朝
*バインナウン王死後タウングーの勢力が弱まり、アユタヤ王朝(タイ)の侵攻をうけ国内が混乱しました。バインナウンだけに死後『倍んなって』返ってきた感じです。
*然し、結果的に混乱は収まりタウングー朝は以降も100年以上続きます。

・ペグー再興
1740 ペグー再興イーナ寄れ。→『モン人(ペグー人)の王朝年語呂
*最終的にタウングー王朝は下ビルマのモン人勢力によって滅亡することになりました。


[アラウンパヤー朝](コンバウン朝)

・滅亡
1752〜1885 コンバウン嫌やこんなの滅亡す
*いきなり滅亡年を書いていますが、成立は、再興したペグー王朝がコンバウン朝に併合された『1757 ペグの人泣こーな今日からコンバウン』で代用します。
*アラウンパヤーは、エーヤワディー川上流(ビルマ中部)の土地モーソーボの首長で、タウングー朝滅亡後の混乱に乗じて上ビルマに侵入して来たモン人を撃退し、更にペグーを陥れてビルマを再統一しました。

・ビルマ戦争(イギリス=ビルマ戦争)
1824〜86 いやに弱野郎と目を付けビルマ戦争
*実際には第一次から第三次に分かれます。第一次は1824年に2を足して1826年まで。更に26の2倍で第二次は1852年。第三次は、最後の1885〜1886の2年間です。
*第一次は、ビルマのアッサム地方の占領、ベンガル侵攻でイギリスとの戦争になりました。ビルマが敗れ、アッサムを放棄します。
*第二次は、ペグーなど下ビルマを併合されました。
*第三次でビルマは滅亡します。

 [英領ビルマ]
1824〜
→イギリス領のインド帝国に併合されました。

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