*このページはとりあえず簡易版です。他のイギリスの年号については、
→『イギリスの国王【早覚え完成】B』を参照してください。
*音声で耳から覚えるためYouTubeに教材を上げています。こちらです。文字だけではリズムをつかみにくいフレーズもスムーズに覚えられます。ぜひ一度聞いてみることをお勧めします。
・イギリス東インド会社
1600 人群れを海外おし出す東インド会社 ↓
・オランダ東インド会社
1602 品物を広う積み出すオランダ船
↓
・ヴァージニア植民地設立(英)
1607年 人群れ並んでヴァージニア ↓
・オランダ西インド会社
1621 オランダも入ろー遂に西インド
↓
↓
・ニューアムステルダム(蘭)
1625 新しいアムステルダム一路通航
↓
・イギリス航海法
1651 一路来い中継ぎ通すな航海法
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英蘭戦争
第一次1652年
1652 対岸の人向こうに回し英蘭戦争(~54)
*イギリス共和国(コモンウェルス)の時代
*三次にわたる英蘭戦争(イギリス=オランダ戦争)はすべて『2年』と覚える。
→1654 ウェストミンスター条約(オランダが『航海法』を承認)
・イギリス王政復古
1660年 一路群れなし王政復古
*クロムウェル死後の政情不安が続くイギリスでチャールズ2世が王政復古
・イギリス、新大陸のニューネーデルラントを侵略
1664年 オランダをひんむきむしろう新大陸
→チャールズ2世がオランダのニューネーデルラント植民地を侵略
*ニューアムステルダム→ニューヨーク
*ニューネーデルラント→後のニューヨーク州中心とする沿岸部一帯
→これに反発したオランダが宣戦布告(→第二次英蘭戦争へ)
第二次1665年
1665 イギリスが挑む向こうのアムステルダム
*フランスがスペイン領南ネーデルラント(主に現在のベルギー)の継承権主張→侵略
→南ネーデルラント継承戦争(1667)
*フランスの脅威に対してオランダはイギリスと講和。
→英蘭ブレダの和約(1667)(イギリスはニューネーデルラントを確保)
→英蘭瑞三国同盟(1668)を結び、フランスをけん制、ルイ14世撤退。
→アーヘン和約(1668)
・ドーヴァーの密約(1670)
1670 いろんなお誘いドーヴァー密約
*ルイ14世がチャールズ2世との間に結んだ密約。対オランダ戦争で英仏が協力することになった。
→オランダ侵略戦争(1672)
*ルイ14世がオランダに侵攻→ナイメーヘン条約(78)
第三次1672年
1672 色んな事由で第三次(~74)
→ドーヴァー密約に従ってイギリス(チャールズ2世)がオランダに宣戦
→イギリス議会が戦費支出を拒否したためオランダと単独講和(~74)
→ウェストミンスター条約(オランダが再占領していたニューネーデルラントを完全に割譲)
(以降、18世紀の植民地争奪戦は英仏に)
スペイン継承戦争
1701~1713 勝手な人なお人々難渋さ
→スペイン継承戦争の一環として戦われたのが
・北アメリカのアン女王戦争(1702)
→イギリスはハドソン湾地方、アカディア、ニューファンドランドなどを獲得。
オーストリア継承戦争
1740 テレジアにたかりたい奴イーナよれ
→オーストリア継承戦争の一環として戦われたのが
・北アメリカのジョージ王戦争(1744)
→アーヘン和約で講和(領土問題は未解決)
・インドの第1次カーナティック戦争(1744)
七年戦争
1756 七年戦争人七年殺し合う
→七年戦争の一環として戦われたのが
・北アメリカのフレンチ=インディアン戦争(1755)
→イギリスはカナダ、ミシシッピ川以東のルイジアナを獲得。
・インドのプラッシーの戦い(1757)
・インド第3次カーナティック戦争(1758)
→これらの語呂は『第二次英仏百年戦争年語呂』を参照してください。
これらは、英仏間の覇権争い。
英仏の争いはそれ以前からもあったが、これらは18世紀に行われた。
カーナティック地方は、南インドで英のマドラスと
仏のポンディシェリがあり、この2つの間の争い。
フレンチ=インディアン戦争は、
英植民地とヌーベルフランスとの戦い。
パリ条約 1763年
フランスの人南無三のパリ条約
→フランス側に立って参戦したスペインはイギリスにフロリダを譲る。
→フランスは、ミシシッピ川以東のルイジアナをスペインに譲渡し、サンピエール・ミクロン島以外全てのアメリカ植民地を失う。
→インドでは、フランスはポンディシェリ・シャンデルナゴル以外のすべての地域について、イギリスに優越権を認める。