『中国王朝年語呂(仮)【年号ゴロ合わせ】』の補充ページ①です。
*音声で耳から覚えるためYouTubeに教材を上げています。こちらです。文字だけではリズムをつかみにくいフレーズもスムーズに覚えられます。ぜひ一度聞いてみることをお勧めします。 →『年語呂年註』目次ページ
・秦中国統一〜始皇帝死去
前221〜前210 始皇帝、フーフー言って秦統一→『中国王朝年語呂(仮)』
・焚書坑儒
前213 儒家に悲惨な焚書坑儒
*医薬・占い・農業関係以外の書をすべて焼く(焚書)数百人の儒者を生き埋め(坑儒)という思想統制策です。
・陳勝呉広の乱
前209 秦の死神連れくる人は陳勝と呉広
*『王侯将相いずくんぞ種あらんや』の名文句でおなじみの陳勝と呉広が先導した農民反乱です。『燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや』も陳勝の言葉です。コピーライターですね。
・垓下の戦い(高祖)
前202 糸たらし待てば前漢国釣れつ→『中国王朝年語呂(仮)』
・呉楚七国の乱(6代景帝)
前154 呉楚七国の後は移行よ郡県制
*漢の高祖は当初、中央で郡県制、地方で封建制と併用する『郡国制』をとりましたが、呉楚七国の乱以降は実質的に郡県制とかわらない体制をとりました。
・武帝(7代)
【在位】
前141〜前87 勢いはイーヨいーわな武帝の政治
*武帝は大規模な対外戦争をおこない多くの成果を上げましたが、財政難に陥りました。それで『勢いはイーヨいーわな』という語呂です。
『武帝の代、突如(董仲舒)官学、五経博士』
『武帝を取り巻く衛星(衛青)、各挙兵(霍去病)』
・司馬遷の『史記』完成
前91 悔いのこ司馬遷『史記』完成
*悔いが残らないように言いたいことは全部言うという李陵をかばって宮刑になった司馬遷らしいゴロです。
『本紀・列伝ごっちゃに司馬遷紀伝体』
・赤眉の乱
後18〜後27 王莽が嫌になったと赤眉の乱
*新の王莽が古臭い周代の制度の復活ばかりやっておーもうさすがに嫌になったというのが赤眉の乱です。
・劉秀(光武帝)が後漢を起こす
後25 劉邦の血統もっかい位に就こう
*後漢の成立年が抜けていたのでいれました。
・西域都護の班超が甘英をローマに派遣
後97 班超が急なご指名甘英派遣
*急だったかはわかりませんが、班超→甘英という関係を入れたかったのでこの語呂です。
・蔡倫が製紙法を改良
後105 蔡倫が今こそ和帝に紙献上
*知らない人は『神が再臨(紙が蔡倫)』と覚えましょうという奴です。
・楽浪郡・帯方郡の終焉
313 楽浪・帯方粉砕さ
*武帝の対外戦争のときに衛満の衛氏朝鮮を滅ぼしておかれたのが楽浪郡・帯方郡など四郡です。『砕さ(313)』です。
・庚戌の土断(東晋: 桓温)
364 無戸籍の人を去ろーよ土断法
*ドダン法を二つ入れました。華北の混乱を避けて南下してきた漢人農民を現住地の戸籍に登録させ、当時成長していた豪族の私有民となることを防ぎ税収の増加を図ろうとした政策です。
・義煕の土断(宋の建国者: 劉裕)
413 みな戸籍入れりゃあ良いさ土断法
・両税法(宰相: 楊炎)
780 縄を張る国ごと納めろ両税法
*現住地での財産に応じて夏(6月)と秋(11月)の2回税を徴収する制度です。
・王仙芝の乱
874 俺こそハナよ王仙芝→花屋(878)に戦死
→875〜884 やな子パッパし黄巣の乱
*『テンプレ世界史』の『中国民衆反乱』に入れてあるのに触れないというのはよくないので入れました。王仙芝の乱が出鼻(はじめ)で、黄巣が加わり二人で頑張っていたのですが、途中で王仙芝が戦死してしまって、黄巣が一人で頑張ったっというのが流れです。
・駅伝制(ジャムチ)
1229 いつ着くか無知じゃいかんとパイザ(牌符)渡して駅伝制
*ジャムチは、オゴタイがつくったモンゴル帝国の陸上交通システムです。主要道路10里ごとに宿駅を置き、常時馬3、400頭を備え、宿泊施設も完備していて、身分証であるとともに通行証である牌符をもっているモンゴル官僚は、それらの施設を利用することで、旅行中全く不便を感じずに旅をすることができるようになっていたということです。
・ハイドゥの乱
1300〜05 いざ俺起こすハイドゥの乱
*フビライと大ハン位をめぐってあらそった中央アジアのオゴタイ家のハイドゥが起こした反乱で、これに先立つ1269年からすでにフビライと対立して『ハイドゥ王国』ともいうべき領域を中央アジアに建てていました。フビライの死後、大ハン位をついだ6代のテムルに決戦を挑みましたが、大敗を喫しハイドゥも戦死しました。その後、オゴタイ家の領域はチャガタイ=ハン国に吸収され、大元と三ハン国の領域が確定し、モンゴル帝国は一応の安定をみることになりました。→『モンゴル年語呂』
→『中国王朝年語呂(仮)』