ロシア皇帝(大公)【早覚え完成】B

これはテンプレ世界史ヨーロッパ編ロシア皇帝(大公)【早覚え完成】Aの続きB段階です。

各事績ごとにゴロ合わせを用意してあります。音声で耳からも覚えやすいようにYouTubeに教材を上げています。こちらです。

また、ゴロ合わせの基本的なルール(規則)についてはこちらを参考にしてください。


ルーシ(推定スウェーデン系)→ヴァイキング
リューリク
(即位) 864 リューリクやろーよ首長ノブゴロド
(没) 879 余命はなくなりリューリク他界
→スラヴ人の土地に侵入・支配
・ノヴゴロド王国
・キエフ公国

10c末
リューリク朝(キエフ大公)
ウラディーミル1
(即位) 980 裏表心を配れウラディーミル
(ギリシア正教改宗) 988 急やわ改宗偶像破壊
(没) 1015 ウラディミル功績残して今逝こ

13c キプチャクハン国(バトゥ)→キエフ大公滅亡

14c モスクワ大公国

15c
リューリク朝
大公イヴァン3世(大帝)
1462〜1505
ローマに等しー無二の皇帝以後置こう
1. ツァーリ(皇帝)の称号を名乗る
・第三のローマ→モスクワ
1472 ビザンツの遺志名に負うイヴァン大帝
2. ノブゴロド、モスクワに併合
1478 モスクワと等しー縄張りノブゴロド
3. モンゴル支配脱する
1480 モスクワの世晴れてくびきを逃る

ロシア(ツァーリ国)
イヴァン4世(雷帝)
1533〜1584
以降散々引こーや四方に縄張り線
・初めてモスクワ大公ではなくツァーリ(皇帝)として戴冠
→ビザンツ皇帝の後継者→ロシア(ツァーリ国)
1. 貴族をおさえて専制政治の基礎
2. カザンハン国征服、アストラハン・ハン国併合、南ロシアに領土を広げる。
3. コサック首長イェルマークの占領したシベリアの一部を領土に組み入れる。

ロマノフ朝
ミハイル=ロマノフ(初代)
即位
1613 地に堕ちたツァーリ位拾いミハイル即位
コサックが献上したアゾフをオスマン帝国に返却
1637 身にあまる広さなアゾフをオスマン返却

ピョートル1世(5代)
1682 覇権国家のイロハに通じたピョートル即位
・欧州使節団を派遣
1697 西欧の人向く並いる使節団
・西欧化
1698 西欧化初めに貴族の髭剥くわ
・大北方戦争
1700 イーナまるまる覇権をいただくバルト海
・徴兵制
1705 軍隊をイーナ置こうと徴兵制
・皇帝(インペラトール)の称号→ロシア帝国
1721 元老院の人懐いて贈るインペラトル
1725 没

エカチェリーナ2世(12代)
・即位
1762 エカチェリ即位でイーナ無血のクーデター
・プガチョフ反乱
1773 コサックの非難がプガチョフ反乱
・ポーランド分割
1772 ポーランドの人中々辛い第一回
1793 第二回ポーランドの人泣くさ
1795 復興の日なくこの世から消えるポーランド
・武装中立同盟
1780 関係がないなやればと中立同盟

アレクサンドル1世(14代)
1801 〜1825
いっちょやれい嫌にご贔屓アレクの1世
・アウステルリッツの三帝会戦(第三回対仏大同盟)
1805 欧州の人は起こせる第三回
・ウィーン会議
1814 化け物の退治祝いよウィーン会議
・神聖同盟
1815 昔ながらの人はいー子よ神聖同盟

ニコライ1世
1825〜1855
ニコライが玉座に座った位置はここまで
・デカブリストの反乱
1825 自由主義貴族の人は都合悪いとデカブリスト
・クリミア戦争
1853 各国のは込み入りクリミア戦争

アレクサンドル2世
・パリ条約
1856 ロシアの抱く意は殺されてパリ条約
・農奴解放令
1861 皇帝支持に引っ張ろう人農奴解放
・露土戦争(ロシア=トルコ戦争)
1877 オスマンに嫌な流れの露土戦争
・暗殺によって死
1881 いち早い爆弾避けれず死を遂げる

ニコライ2世
1894〜1917 皇帝偲ぶ人は供養行くイーナ

リューリク

即位
864(ヤローヨ)リューリクやろーよ首長ノブゴロド
*『首長』というのは、集団のリーダーのことです。リューリクはノブゴロドを建てた半伝説上の人物ですが、以降のロシアの歴史はリューリクの実在を前提にして展開します。

・没年
879(ワナク)余命はなくなりリューリク他界
*『余命がなくな』って他界したというのは当たり前のことですね。

ウラディーミル1世

・即位
980(クバレ)裏表心を配れウラディーミル
*ご推察の通り『裏地ー見る』なので裏ばっかりやなくって『裏表、心を配れよ』ということです。この年から伝統的な異教信仰をもととして、様々な民族の神を採り入れた国づくりを行おうとしますが、結局失敗したと言われます。で、キリスト教です。

・ギリシア正教改宗
988(キューヤワ)急やわ改宗偶像破壊
*各宗教を調べた結果、ウラディーミルは自らキリスト教に改宗します。そしてこれまでと一転して『異教の偶像の破壊』を命令しました。ホントに『急やわぁ(988)』という感想です。

・没
1015(イマイコー)ウラディミル功績残して今逝こ


13c キプチャクハン国(バトゥ)→キエフ大公滅亡

14c モスクワ大公国

15c
リューリク朝
(裏地見るとか)言わんで見よーリューリク朝
*ロマノフ朝以前の王様ですが、まず『裏地見るとか言わんで見よーリューリク朝』と覚えます。『裏地見る』が『ウラディーミル1世』で、これは、リューリク朝の前段回です。その後が『言わん(イヴァン)』で『見よー(3と4)』なので『イヴァン3世』と『イヴァン4世』をリューリク朝として覚えます。ウラディーミル1世の前のリューリクは書いていませんが、もちろん『リューリク朝』という王朝名の中にすでに名前が入っているからです。

大公イヴァン3世(大帝)
1462〜1505
(ヒトシームニ・イゴオコー)ローマに等しー無二の皇帝以後置こ

・ツァーリ(皇帝)の称号
1472(イシナニ)ビザンツの遺志名に負うイヴァン大帝

・ノブゴロドをモスクワに併合
1478(ヒトシーナワ)モスクワと等しー縄張りノブゴロド

・モンゴルの支配を脱する
1480(ヒト・ヨハレ)モスクワのの世晴れてくびきを逃る


イヴァン4世(雷帝)

1533〜1584
(イコーサンザン・ヒコーヤシ)以降散々引こーや四方に縄張り線

・初めてモスクワ大公ではなくツァーリ(皇帝)として戴冠
→ビザンツ皇帝の後継者→ロシア(ツァーリ国)
1. 貴族をおさえて専制政治の基礎
2. カザンハン国征服、アストラハン・ハン国併合、南ロシアに領土を広げる。
3. コサック首長イェルマークの占領したシベリアの一部を領土に組み入れる。

ロマノフ朝
ミハイル=ロマノフ
即位
1613 地に堕ちたツァーリ位拾いミハイル即位

・コサックが献上したアゾフをオスマン帝国に返却
1637 身にあまる広さなアゾフをオスマン返却


ピョートル1世

即位
1682 覇権国家のイロハに通じたピョートル即位

・欧州使節団を派遣
1697 西欧の人向く並いる使節団

・西欧化
1698 西欧化初めに貴族の髭剥くわ


・大北方戦争
1700 イーナまるまる覇権をいただくバルト海

・徴兵制
1705 軍隊をイーナ置こうと徴兵制

元老院がピョートル1世に皇帝(インペラトール)の称号を贈る
1721 元老院の人懐いて贈るインペラトル

1725

エカチェリーナ2世
1762 エカチェリ即位でイーナ無血のクーデター

1773 コサックの非難がプガチョフ反乱

・ポーランド分割
1772 ポーランドの人中々辛い第一回

1793 第二回ポーランドの人泣くさ

1795 復興の日なくこの世から消える

・武装中立同盟
1780 関係がないなやればと中立同盟


アレクサンドル1世
1801 〜1825
いっちょやれいと嫌にご贔屓アレクの1世

1805 欧州の人は起こせる第三回

1814 化け物の退治祝いよウィーン会議

1815 昔ながら人はいー子よ神聖同盟

ニコライ1世
1825〜1855
ニコライが玉座に座った位置はここまで

1825 自由主義貴族の人は都合悪いとデカブリスト

1853 各国の意図は込み入りクリミア戦争

アレクサンドル2世
1856 ロシアの抱く意は殺されてパリ条約

1861 皇帝支持に引っ張ろう人農奴解放

1877 オスマンに嫌な流れの露土戦争

1881 いち早い爆弾避けれず死を遂げる

ニコライ2世
1894〜1917 皇帝偲ぶ人は供養に行くイーナ

『年語呂年註』目次ページ

『テンプレ世界史』の目次ページに戻る

サイト目次ページに戻る