『テンプレ世界史ーオリエント国の移り変わり』のおまけページです。このページでは各王朝の成立した年と滅亡した年をゴロ合わせで覚えていきます。 →『年語呂年註』目次ページ
音声で耳から覚えるためYouTubeに教材を上げています。こちらです。リズムをつかみにくいフレーズもあるためぜひ一度聞いてみることをお勧めします。
オリエントの年号としては余裕があればこちらも参考にして下さい。
また、ゴロ合わせの基本的なルール(規則)についてはこちらを参考にしてください。
[シュメール]
【ウルク期】
前3500~前3100頃 さーこれをさっとお披露目ウルクの都市文明
↓
[アッカド]
【サルゴン王】
前2334~前2279頃 ニーサン左様につなぐ王位はサルゴン王
【ナラム=シン王】
前2155~前2119頃 ついここに人行く目が行くナラム=シン
↓
[古バビロニア]
【成立】
前1830頃 紀元前古バビロニア人は見れ
【ハンムラビ王】
前1792~501頃 イーナ国これ法で治めるハンムラビ王
【滅亡】
前1530頃 古バビロニア以後去れよ
↓
[ヒッタイト]
【滅亡】
前1180頃 海の民ヒッタイトの人否応なくつぶす
[カッシート]
【滅亡】
前1155頃 カッシートの人々ここに滅亡す
↓
[アッシリア]
【アッシュールバニパル王】
前669~前627 天禄無窮と無二な王様アッシュールバニパル王
【滅亡】
前612頃 永遠の夢寐に入れるアッシリア
↓
[新バビロニア(カルデア)]
【成立・滅亡】
前625~前539 ロクにここ割く大義はないけど新バビロニア
【ネブカドネザル2世】
前604~前562 群れよ虎狼に命令下すネブカドネザル
[リディア]
【滅亡】
前547 ペルシアこしーな(こすいな)リディア滅亡
↓
[アケメネス朝]
【成立・滅亡】
前550~前330紀元前ここをさんざん治めた王朝アケメネス
解説
*語呂はすべて『紀元前』であることが前提になっています。『オリエントの国々変遷【地図イメージ】』にあるように「結局アレクにマケドニア」の時代までずっと紀元前で紀元をまたぐのは、パルティアの時代です。
*後で見返してみると、このページはかなり調子に乗って作ってしまいました。基本的にオリエントの初期に年号は要りません。シュメールは紀元前3000年前ごろ、アッカドは前24世紀~前22世紀ごろでOKです。年号といっても『推定』に過ぎない訳で、なるべくはっきりした数字の方がイメージしやすいという個人的なこだわりの領域なのでそのつもりでご覧下さい。
[シュメール]
【ウルク期】
【成立・終わり】
前3500~前3100 さーこれをさっとお披露目ウルクの都市文明
*シュメールの都市文明は、ウルク文化からはじまります。この年号で、とりあえずシュメールの都市文明の始まりをつかむことができます。もちろん「おおよそ」ですが。『サー(3)コレ(50)ヲ(0)』と『サッ(3)ト(10)オ(0)』を順番に数字に直せば、ウルクのシュメール人が初期の都市文明を開始したころの年代になります。
*最古の文字は前3200年ごろの絵文字が見つかっています。
*この後、前3000年頃に、シュメールでは青銅の合成が可能になり、青銅の武器が作られたことで、都市国家間の戦争時代になります。
*戦争時代が終わり、結果シュメールは初期王朝時代に入ります。『前2800年 シュメール突っ張れ王朝時代』様々な王朝が立ちました。その中には『ギルガメシュ神話』で有名な、ウルク第一王朝の王ギルガメシュもいます。教科書にあるとおり、シュメール人の言語系統は不明です。
[アッカド]
【サルゴン王】
【在位】
前2334~前2279 ニーサン左様につなぐ王位はサルゴン王
*シュメールは、セム語系のアッカド王国によって征服されます。シュメールとアッカドをあわせたメソポタミアの統一です。で、この統一を行ったのがサルゴン王です。つまりサルゴン王の在位年をアッカド王国の始まりとみなしてよいことになります。
*年号は、当時の粘土板の文書の研究から割りだされたものです。紀元後では見たことのない年号で面白いですね。実は、文書から割り出した年号は、つじつまが合わないところが多く、これも推定にすぎません。別の計算法では数十年くらいずれてしまうということです。
*これも『ニー(2)サン(3)サヨー(34)~ニ(2)ツ(2)ナ(7)グ(9)』でそのまま年号です。『2』に着目すると、年号の分け目がはっきりします。アッカドのサルゴン兄さんが、そんな風につないで続いた王位、ということです。
【ナラム=シン王】
【在位】
前2155~前2119 ついここに人行く目が行くナラム=シン
*アッカド王国の最大版図を築いた王様です。サルゴン王の孫で、第4代王になります。この王のとき初めて王の神格化が行われました。で、どうしても目立つ王様なので『ついここに人いく目がいく』というゴロです。
これも今までと同じく『ツイココ(2155)』『ニヒトイク(2119)』で在位年がわかります。
*この年号なんですが、資料がなかったのでwikiの低年代説にもとづく年号を使ってしまい、ナラム=シン王の死後、実際にはアッカド王国は、異民族の侵入などにより長い混乱期に入るのですが、従来の年代では、この後すぐ(つまりナラム=シンの死後すぐに)次のウル第3王朝に入らないと辻褄が合わないことになります。なのでこの年号をアッカド王国の終わり=『ウル第3王朝の始まり』として問題ないことになります。はっきりいってミスです。まことに申し訳ありません。 ただ、この2王の在位年は、アッカド王国の存在した時代を推定するのに利用できます。 |
*『ウル第3王朝』は、アッカドの支配から抜け出したシュメール人が建てた王朝です。『ウル第3王朝』の滅亡後、アムル人のバビロン第一王朝(古バビロニア)につながっていきます。
[古バビロニア]
【成立】
前1830 紀元前古バビロニア人は見れ
【滅亡】
前1530 古バビロニア以後去れよ
*今回は成立年と滅亡年に分けています。成立年は『ヒトハミレ(1830)』滅亡年は『イゴサレ(1530)』です。間違いないですね。一応『紀元前』と入れてあります。ちょうど300年間ですね。覚えられる人はそれでいいですが、忘れないでくださいね。
【ハンムラビ王】
【在位】
前1792~50 イーナ国これ法で治めるハンムラビ王
*バビロニアで有名な王様と言ったら『ハンムラビ法典』の復讐法で有名なこの人なんで、存在した時代を覚えておこうという、安直ですが、気持ち良くないですか?
*『イーナ国これ法で治める』は、周りで見ている人が言った言葉でも、ハンムラビ王自身の言葉でもどっちでもいいです。『イーナクニ(1792)』から『コレ(50)』までつまり前1792年から前1750年です。
*YouTubeの音声のように一続きのフレーズとして覚えるといいです。何度も言うのは大変なので、YouTubeの音声を何度も聴くのがいいと思います。
[ヒッタイト]
【滅亡】
前1180 海の民ヒッタイトの人否応なくつぶす
[カッシート]
【滅亡】
前1155 カッシートの人々ここに滅亡す
*古バビロニアの後は『ヒ・カ・ミ』の三国つまりヒッタイト・カッシート(バビロン第3王朝)・ミタンニですが、いずれも前16世紀、つまり古バビロニアの滅亡に前後して成立したと考えておきます。古バビロニアはヒッタイトの攻撃を受けて崩壊し混乱状態に陥りますが、その混乱状態の中から次第に勢力を拡大してバビロニアを再統一したのがカッシートでした。
*この内、ミタンニ王国はもとはアッシリアを服属させていた強国でしたが、ヒッタイトとの戦いによって一番早く前14世紀には衰退し、前13世紀には滅んでしまいます。つまりミタンニだけに300年続いたということで3を単位に覚えられます。
*ヒッタイトの滅亡年は『ヒトイヤオー(1180)』でカッシートが『ヒトビトココ(1155)』です。カッシートは成長するアッシリアに攻められて衰退しました。
*ヘブライ王国については『ヘブライ王国年語呂』を参考にして下さい。
[アッシリア]
*アッシュールという都市を中心とする、アッシリア王国ということであれば、古バビロニアと同じくらい古い時代からあるのですが、実際に大きな勢力に成長するのは前14世紀にミタンニ王国の影響下から完全に脱したあとです。
特に、アッシリアが『大帝国』を築く時期は『ヘブライ王国年語呂』のイスラエル王国がアッシリアに滅ぼされる722年の前の20年くらいの間です。イスラエル王国滅亡の20年後にニネヴェに遷都しています。
【アッシュールバニパル王】
【在位】
前669~前627 天禄無窮と無二な王様アッシュールバニパル王
*教科書などのライオン狩りのレリーフで良く知られていますが、征服事業を行ったアッシリア最後の王であるとともに、多言語の読み書きができた教養ある君主として知られています。文書記録(粘土板)の収集を広くおこない、それらの文書は『アッシュールバニパルの図書館』と呼ばれ、現在は大英博物館に収蔵されています。
*『天禄』とは天からの恵みのことで『無窮』とは窮まりがないことです。『ロクムキュウ(669)』と『ムニナ(627)』ですね。正に天の恵みが窮まりない、唯一『無二』の王様のように見えたのでですが、アッシュールバニパル王の死後まもなくしてアッシリアは滅亡します。
【滅亡】
前612 永遠の夢寐に入れるアッシリア
*アッシリアの滅亡年です。『ムビニ(612)』です。
[新バビロニア(カルデア)]
【成立・滅亡】
前625~前539 ロクにここ割く大義はないけど新バビロニア
*セム系の遊牧民カルデア人がバビロンを中心にして建てた王朝なので、新バビロニアと呼んでいます。古代の西アジア世界では『バビロン』の王は特別な存在で、それはアッシリアの時代でも変わりはありませんでした。
*で、カルデア人がこのあたりに移り住んだのは、前10世紀くらいのことと言われていて、別にここを統治する正当性もなにもあったものではないということで『ロクにここの土地を割いて領土にする大義名分(正当な理由)はないけど』という語呂にしました。それを言い出したらどこも同じですが。『ロクニコ(625)』と『コサク(539)』です。
【ネブカドネザル2世】
【在位】
前604~前562 群れよ虎狼に命令下すネブカドネザル
*虎か狼のような軍勢に命令を下し『群れ』として行動させるネブカドネザルということです。『ヘブライ王国年語呂』にあるユダ王国を滅ぼして『バビロン捕囚』を行った王様として有名です。『ムレヨ(604)』と『コローニ(562)』です。
[リディア]
*リディアと言えばヒッタイトと同じく小アジアの王国で、世界最古の鋳造貨幣(硬貨)を用いたことで有名です。
【滅亡】
前547 ペルシアこしーな(こすいな)リディア滅亡
*リディアは、新興のアケメネス朝に対して、新バビロニア、エジプト、スパルタなどと同盟を組んだ上で攻勢をかけしました。ところが勝負がつかず、両軍いったん引き揚げてリディアの王が、今年中の戦闘はないだろうと傭兵を解散させていたところをアケメネス朝の軍勢に攻め込まれ、結果的に滅亡してしまいました。で、リディア側の『ペルシアずっりーな!』という語呂です。『コシーナ(547)』です。
*アッシリアの後の『4王国』の内、西アジアの王国として新バビロニアに次いで、リディアの滅亡年を上げています。じゃ、メディアはどうなんだという話ですが、メディアはイラン高原の国で、ペルシア人のアケメネス朝は、もともとそのメディアに服属していたわけです。つまり、そのアケメネス朝の成立年は、服属させていたメディアの滅亡年となります。次のアケメネス朝の成立、前550年を覚えれば、メディアの滅亡年を覚えたことになる訳です。
[アケメネス朝]
【成立・滅亡】
前550~前330 紀元前ここをさんざん治めた王朝アケメネス
*成立が『ココヲ(550)』滅亡は『サンザンオ(330)』です。
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