中世十字軍年語呂【早覚え完成】

*これは年語呂年註-世界史版のひとつです。西欧中世の十字軍の概略をゴロ合わせにそって見ていきたいと思います。

*音声で耳から覚えるためYouTubeに教材を上げています。こちらです。文字だけではリズムをつかみにくいフレーズもスムーズに覚えられます。ぜひ一度聞いてみることをお勧めします。


【中世十字軍語呂】

・クレルモン公会議
1095 聖戦いってクレルモン説く公会議
→意地でも聖地をウルバヌス2世

・第一回十字軍
1096 字軍苦労する

・イェルサレム王国建国
1099 一応汲々聖地回復イェルサレム王国

*『えーであんたのエーの取り
エデッサ・アンティオキア・イェルサレム・トリポリ
(伯領)   (公国)    (王国)  (伯領)

・エデッサ伯領
1098 一応鍬(くわ)入れエデッサ伯領
*手始めにこの土地を『開拓』するという感じです。

1144 エデッサ伯領人縊死(いし)
*新興イスラーム王朝のザンギー朝に滅ぼされました。『縊死(いし)』というのは首をくくって死ぬことです。

・アンティオキア公国
1098 一応鍬(くわ)入れアンティオキア

1268 マムルークにアンティオキアの人詰むわ
*マムルーク朝の実質的な創始者ともされるバイバルスによって滅ぼされました。『この世からバイバルス』です。

・イェルサレム王国
1099〜1291 西からは遠く食いにくいイェルサレム

・トリポリ伯領
1109 キリスト教徒にイー人置くはトリポリ伯領

1289 悲痛や苦しみトリポリ陥落
*フラグに加担した報復としてマムルーク朝に滅ぼされました。

・第二回十字軍
1147〜1149 第2回人々よーない等しく

・第三回十字軍
1189 聖地奪回人々約して第3回

・リチャード1世がサラディンと休戦→『イギリス国王』
1192 お互いにいい国の王と認めて帰る

・第四回十字軍
1202〜04 ビザンツの人にまー辛れー4回目

・ラテン王国
1204〜61 いつお城居座れゆーたラテン王国

・少年十字軍
1212 少年の悲痛悲痛な十字軍

・第4回ラテラン公会議
1215 太陽と一つ行こーやギラギラ照らん公会議
*インノケンティウス3世が十字軍を呼び掛けました。

・ジャン=ド=ブリエンヌの十字軍(第五回)
1217〜21 休戦はいついーな?とついにやられるブリエンヌ
→アイユーブ朝エジプト攻略
→エジプトの海港ダミエッタを占領したものの、有利な条件で和睦する機会を逃し、結局、敗北したうえ、ダミエッタを返却しました。

・フリードリヒ2世の破門十字軍(第五回)
1229 和議ひとつ憎いねフリードリヒ2世
*教皇の十字軍派遣を中々実行せず破門された神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が起こした十字軍。
*一戦も交えず、スルタンのアル=カーミルと合意文書を交わす。以後10年間はイェルサレムとその周辺部の権利をキリスト教徒側に譲る。

・ルイ9世の十字軍(第六回)
1248 ひとつ世は俺が変えるとルイ9世

・ルイ9世捕虜となり莫大な身代金を払い解放
1254 王の人都合し払う身代金
アイユーブ朝との戦いでルイ9世は捕虜となりましたが、アイユーブ朝からマムルーク朝への王朝交代の混乱の中、莫大な身代金を払うことで難を逃れました。

・ルイ9世がチュニスに遠征(最後の十字軍)(第7回)
1270 帰らぬ人になれるルイ9十字軍

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