イスラームの国の変遷 ①

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YouTubeのリンクから来られた方は次の「フレーズ」の説明にお進みください。

これはテンプレ世界史シリーズのひとつです。他をまだご覧でない方はそちらもあわせてどうぞ。

*「イスラームの国の変遷」は、①と②で1セットです。またエジプトの変遷中央アジアの国の変遷とも組み合わせて使う姉妹品となっています。

それ以前の経過についてはセレウコス朝シリアからイスラム帝国へがこれにあたります。

フレーズ

今回のフレーズは、

です。

① 初めの「イスラム」とは、ムハンマドとその教団による「イスラーム教の成立」のことです。
②「タヒル」は「ターヒル」「サファール」は「サッファール」「サーマン」は「サーマーン」「セルジュク」は「セルジューク」の略です。
③「ガズニ」は「ガズニ」ですが、教科書は「ガズナ」としているので、フレーズ段階でこれで覚えてもらってもOKです。

ねらい

今回の個別フレーズの「ねらい」については、初回の「オリエントの国の移り変わり 」の「ねらい」に準じるものとします。ご覧でない場合はそちらを確認してください。
① 発展で各王朝の首都を覚えたい場合はこのページです。
各王朝の成立・滅亡を覚えたい場合はこのページです。
なお、『テンプレ世界史』のねらいや説明など、詳しくはこちら「テンプレ世界とは?」をお読みください。

流れ

それでは、王朝の流れを書いてみます。

1      イスラーム教成立
1         
1       ウマイヤ
1         
1       アッバース
1         
ターヒル朝・サッファール朝)
(イラク・イラン)(中央アジア・アフガニスタン)
1   ↓          ↓
 サーマーン朝       ブワイフ
1   ↓          ↓
ガズニ(ガズナ)朝     セルジューク
1   
1  ゴール

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ゴチャゴチャしがちなイスラーム世界ですが『イスラームの国の変遷①②』で、その背骨はがちっとかたまります。そうすると、その後の肉付けが一気に楽になります。
何より、教科書などの説明に出てくる王朝名が、どれを聞いても既に「知ってるわーそれ ”何” の次でその後は ”何” がくるわー」と分かってしまうのは気分がよいものですよ。

年代

*各王朝の成立・滅亡年を覚えたい場合はこのページです。

イスラーム教 610年~
ウマイヤ朝(661年 ~ 750年)
アッバース朝(750年 ~ 1517年)
ターヒル朝(821年 ~ 873年)
サッファール朝(861年 ~ 1003年)
サーマーン朝(875年 ~ 999年)
ガズナ朝(962年 ~ 1186年)
ゴール朝(1148年 ~ 1215年)
ブワイフ朝(932年 ~ 1062年)
セルジューク朝(1038年 ~ 1308年)

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簡単な解説

上に書いてある「フレーズ」と「流れ」を理解して、大体の「年代」をつかんだ上でフレーズの暗誦、これが『テンプレ世界史』の基本になります。

以降は「いやいや、とりあえずちったあ説明してくれんとイメージわかんやろ」という人のために大体の内容を解説したものですが地図イメージ版を作ったことで少し役割が薄くなったことは確かです。余裕のある人は読み流してみて下さい。

イスラーム勢力の拡大と分裂

とりあえず、教科書なんかをみれば、成立まもないイスラーム教勢力が、ササン朝を滅ぼして「ウマイヤ」から「アッバース」の時代に東はインダス川、西は北アフリカにまで至る大帝国に成長したことは、地図ではっきり書いてあると思います。

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↑アッバース朝最大版図(薄水色)です。

イベリア半島(スペインのある半島)もイスラーム世界に含まれていますが、これは「アッバース」に滅ぼされた「ウマイヤ」の王族がここまで逃げてきて築いたイスラーム王朝で「ウマイヤ」と言います。

とにかくイスラーム帝国(アッバース)、大きいですね。

こんなに大きくなりすぎたイスラーム帝国(アッバース)が、その統一力がゆるみ始めるとともに広い領域を保っておけず、崩壊しはじめるのは分かりやすいことです。

アッバース」の首都はバグダード(現在のイラク:上の地図の赤点部分)にあります。ここを中心にして東西にカリフ(最高指導者)を頂点とするイスラームの支配圏が広がります。

単純に考えてバグダードから遠い地域ほど支配がいきわたりにくいということになります。

「アッバース朝」の領域の端、まずイベリア半島に近い西のモロッコチュニジア、続いて東のイラン方面、更にエジプトがそれぞれ順番に自立して王朝を建てていきます。

今回のフレーズでは、イラン方面の「ターヒル」「サッファール」を扱っています。エジプトについては「エジプトの変遷」を参照してください。

「中央アジア・アフガニスタン」側の王朝

  

ターヒル」「サッファール」はこの順番で変遷した王朝で、ともにイランから中央アジア・アフガニスタンにかけて広がりをみせた王朝です。

これらのイスラーム王朝の流れは次に「サーマーン」につながっていきます。

実際のところ、これらの王朝はそれぞれ全然性格が違うのですが『テンプレ世界史』は内容を突っ込んで説明するところではないので、ここは、

ターヒルサッファールサーマーン

この流れでいいと思います。

一言だけ付け加えておきます。上に載せた「年代」では、サッファールは、サーマーンが栄えた時期どころか、滅んだ後も続いたことになっています。これは、サーマーンに服従して仕え、サーマーン滅亡後も地方政権として生きながらえたからです。

サーマーンの後は、ガズナゴールと移り変わっていきます。

  

ガズナゴールは、サーマーンに比べてかなり、インド側に進出した王朝で、特にゴールは、北インドを完全に征服し、インドがイスラーム化するきっかけとなった王朝です。

支配した領域も細かく見ればそれぞれ大きさはまちまちですし、サーマーンガズナゴール、どの王朝も調子のいいときはイランからイラク近くまで大きくはみでてきます。

ただ、一つの王朝でも領域は大きくなったり小さくなったりするもので、よく資料に載っている領域は「最大版図」な訳です。

「イラク・イラン」側の王朝

先に「アッバース」の首都であるバクダード(イラク)から遠い地域が順番に自立して王朝を建てていくという話をしましたが、ついにおひざ元、バクダードも危うくなってしまうというのが「イラク・イラン」の王朝成立です。

ブワイフは、当時カスピ海南岸に自立していたイスラーム王朝に、軍人として仕えていた3兄弟がイランに進出し、ここに支配を確立することで成立しました。

3兄弟は征服の結果それぞれの支配地域を持ちましたが、その中の一番下の末っ子が、イラク地方に進出してとうとうバクダード占領を果たし、カリフ(最高指導者)から「大アミール」の称号を受けることに成功します。

この「アミール」というのはもともと遠征軍の長(総督)のことでしたが、「大アミール」はイラクの世俗的な支配権を一手に担うことになります。

つまりカリフ(最高指導者)は、依然としてイスラーム最高指導者としての宗教的、政治的影響力は持っていても、イラクに対する実権は失ったということです。

以降、「大アミール」はブワイフで世襲されました。

この「バグダード入城」は、日本国憲法公布のちょうど1000年前、946年で東はサーマーンが支配していた時代です。

セルジューク朝

最後のフレーズ「そのころブワイフセルジュク朝」の「そのころ」とは、「ガズニゴール」ですから「ガズナ」から「ゴール」に移り変わる頃です。「そのころ」には、ブワイフはとっくに滅亡し、すでに「セルジューク」が繁栄していました。

  

というのも、ブワイフはそれ以前からすでにガズナによって領土を奪われていくほど弱体化していました。

そのガズナに仕えて頭角を表し、ついにはガズナを破って勢力を大きくしてきたのがセルジュークの親玉トゥグリル・ベグだったわけです。

セルジュークは、もとは中央アジアから出てきたトルコ系遊牧民の一族によって建てられたイスラーム王朝です。

中央アジアから出てきて、イラン・イラクまで支配地域におさめる様になるので、もちろん中央アジアアフガニスタンの一部も支配地域に入ってきます。

ブワイフの「大アミール」を倒したトゥグリル・ベグは、カリフから正式に「スルタン」の称号を授けられます。

スルタン」とはアラビア語で「権威」とか「権力」といった意味でセルジュークの君主に対して初めて「皇帝」というのに極めて近い地位が与えられたということです。

ここまで読んでわかるように「アッバース」のカリフには、政治の実権は失われていたとはいえ、イスラーム世界の宗教的指導者としての権威は一貫して存在していました。したがってセルジュークの時代もやはり「アッバース」は「あった」ということになります。

アッバース」が滅びるのは、モンゴルフラグの遠征によってバグダードが破壊され、カリフとその子供たちが全員処刑された時です。

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