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YouTubeのリンクから来られた方は次の「フレーズ」の説明にお進みください。
これはテンプレ世界史シリーズのひとつです。他をまだご覧でない方はそちらもあわせてどうぞ。
『テンプレ世界史』目次ページはこちらです。
フレーズ
総説
プトレマイオスエジプトは
ローマ帝国ビザンチン、イスラム次々変遷し
シーアのファティマにアイユーブ
マムルーク果てにオスマントルコで英領となる
セレウコス朝シリアの後は…の奴と同様に、これは下の解説を読んで、ザクっと意味が分かればそれで良いです。要約したフレーズの方をメインで覚えます。
ただ、この総説は内容も比較的単純で、短いので、覚えられるなら覚えても損はありません。要約より長めなかわりに、分かりやすいですからね。
もともと、要約を作る前はこちらがメインだったので、そのときの生徒はこれを覚えました。
要約
「プトレマローマビザンツイスラムファティマアイユブマムルクオスマン英保護下」
①「プトレマ」は「プトレマイオス朝エジプト」です。
②「ローマ」は「ローマ帝国」です。
③「ビザンツ(ビザンチン)」が「ビザンツ帝国」で、東ローマ帝国のことです。
④「イスラム」は基本的に「イスラーム(ウマイヤ朝とアッバース朝)」です。然しエジプトには早くからトゥールーン朝、イフシード朝といった地方政権が自立します。マイナーで万人向けではないのでフレーズからは外しています。
⑤「ファティマ」が「ファーティマ朝」で、シーア派のイスラーム王朝です
⑥「アイユブ」が「アイユーブ朝」、「マムルク」が「マムルーク朝」、「オスマン」が「オスマン帝国」、最後に「英保護下」は「イギリスの保護国」になったという意味です。
ねらい
今回の個別フレーズの「ねらい」については、初回の「オリエントの国の移り変わり 」の「ねらい」に準じるものとします。ご覧でない場合はそちらを確認してください。
* 発展で各王朝の首都・成立・滅亡年を覚えたい場合はこのページです。
*なお、『テンプレ世界史』のねらいや説明など、詳しくはこちら「テンプレ世界とは?」をお読みください。
流れ
今回の王朝の移り変わり(流れ)は直線的なので省略してもよいのですが。
1 プトレマイオス朝エジプト
1 ↓
1 ローマ帝国
1 ↓
1 ビザンツ帝国
1 ↓
1 イスラーム
1 (ウマイヤ朝→アッバース朝
1 →トゥールーン朝→イフシード朝)
1 ↓
1 ファーティマ朝
1 ↓
1 アイユーブ朝
1 ↓
1 マムルーク朝
1 ↓
1 オスマン帝国
1 ↓
1 イギリスの保護国
年代
*各王朝の成立・滅亡年を覚えたい場合はこのページです。
- プトレマイオス朝エジプト(前304~)
- ローマ帝国(前30~)
- ビザンツ帝国(395~)
- イスラーム(ウマイヤ朝→アッバース朝→トゥールーン朝→イフシード朝)(639~)
- ファーティマ朝(909~)
- アイユーブ朝(1169~)
- マムルーク朝(1250~)
- オスマン帝国(1517~)
- ムハンマド・アリーによる近代化(1805~)
- イギリスの保護国(1914~)
- エジプト王国(1922~)
- エジプト共和国(1953~)
- アラブ連合共和国(1958~)
- エジプト・アラブ共和国(1971~)
注
①「プトレマイオス朝エジプト」は「セレウコス朝シリア」や「アンティゴノス朝マケドニア」などと同様、アレクサンドロス大王の東方遠征の結果生まれた大帝国を「ディアドコイ(後継者)」と呼ばれる将軍たちが奪い合う形でできた国です。
② テンプレ世界史「オリエントの国の移り変わり」の最後が「アレクサンドロス大王の東方遠征」で終わっているので、ここから先の歴史を補うものとして今回のフレーズと「セレウコス朝シリアからイスラム帝国へ 」を用意しています。