北アジアの国の変遷 【前半】

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これはテンプレ世界史シリーズのひとつです。他をまだご覧でない方はそちらもあわせてどうぞ。

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フレーズ

今回のフレーズは北アジアの国の変遷、前半のみとなります。一つにまとめてしまおうとも思ったのですが、長いので前半と後半に分けた次第です。

北アジアは遊牧騎馬民族が多く、どの時代もこれ以外に色々な勢力がいます。これらを軸と考えて、必要に応じこれに知識を増やしていくといいでしょう。

匈奴」と「鮮卑」と「柔然」と「高車」と「突厥」ここまではそのままです。「東西」は「突厥」が東西に分かれて「東突厥西突厥」になります。「ウイグル」と「キルギス」はそのまま。

契丹遼から(カラ)カラハン金領」は「契丹(キタイ)」が中国の北部(華北)を支配した際に、中国向けに「」と名乗ったので、「契丹」と「」は同じものです。その後「」が女真に負けたとき、王族の耶律大石は西に逃げて、タリムの「ウイグル」中央アジアの「カラハン朝」を服従させ、ここに「カラ・キタイ(西遼)」という国を作ります。そして「」が滅びた後には、女真族が入って「(の領土)」になった、という意味です。

西夏」はそのまま、最後の「」はその前段階の「モンゴル帝国」を含めています。

ねらい

今回の個別フレーズの「ねらい」については、初回の「オリエントの国の移り変わり 」の「ねらい」に準じるものとします。ご覧でない場合はそちらを確認してください。

発展として各王朝の成立・滅亡年を覚えたい場合はこのページです。
*モンゴル(元)についてはこちらで対応しています。

なお、『テンプレ世界史』のねらいや説明など、詳しくはこちら「テンプレ世界とは?」をお読みください。

流れ

匈奴鮮卑柔然高車突厥突厥・西突厥ウイグルキルギス契丹()・西夏西夏西遼モンゴル帝国()

・各王朝の成立・滅亡年を覚えたい場合はこのページです。
また、モンゴル(元)についてはこちらで対応しています。

匈奴(紀元前209年 ~ 93年)
鮮卑(紀元前3世紀 ~ 6世紀)
柔然(蠕蠕)(5世紀 ~ 6世紀) 高車 (4世紀 ~ 6世紀)
突厥 (552年 ~ 582年 6世紀の半ば ~ 後半)
東突厥 (582年 ~ 745年)・西突厥 (582年 ~ 741年頃) ~共に8世紀の半ば
ウイグル (744年 ~ 840年 8世紀の半ば ~ 9世紀半ば)
キルギス 紀元前2世紀~ ウイグルを滅ぼしてカガン国(840年頃 ~ 860年代)
(契丹4世紀~) (916年 ~ 1125年)
カラハン朝西遼(カラキタイ) (1132年 – 1218年)
(1115年 – 1234年)
西夏 (1038年 – 1227年)
(モンゴル帝国1206年~) (1271年から1368年)

北アジアの国と言いますが、万里の長城以北という感覚です。このフレーズでは主にモンゴル高原辺りの変遷を中心に扱っています。モンゴル高原の変遷としては、重要な部分は押さえていると思いますが、最後のは現在の中国東北部から出て中国の北半とロシアの沿海州辺りを領土とした国で、モンゴル高原は全く含んでいません。当時ここにはケレイト・モンゴル・タタール・オングートなどの諸部族がいました。

「これ以外に色々な勢力がいる」と書きましたが、色々いるわけです。もちろん必要に応じて覚えるべきでしょう。

また、もちろん中国の王朝の勢力が強い時代は、常にタリム盆地辺りまで中国の王朝が張り出してきます。

フレーズとしては、欲張って詳しすぎるものを作っても一般向けではなくなってしまうので例により「塩梅」というやつです。

とりあえず「ざっとお見渡しておく」と言うのがベストでしょう。それには北アジアの国の変遷【地図イメージ】これは全体のイメージ作りにおすすめです。

  

契丹遼からカラハン金領」がちょっとトリッキーで分かりにくいと思いますが、「契丹」つまり「から西遼」が出て「(ウイグル)・カラハン」のあった場所に居座った、という意味と、「契丹(キタイ)」に「カラ」を付けて「カラ・キタイ(黒契丹=西遼)」になるという意味が懸けてある訳です。そして、もと「」があった場所は「」を滅ぼした「」の領土になったというのが「金領」というフレーズです。

西夏が間に割り込むも」ですが、これは地理的な関係を言ったものです。上の「年代」を見ても分かるように「西夏」が建国されたのは、まだ北方に契丹がいた時代で、「西夏」は、契丹(遼)ととチベット高原の「吐蕃」の間に挟まれるようにして存在していました。そしてが滅ぼされ「」が華北を領有する時代になると、フレーズにあるとおり、今度は、西の「西遼(カラ・キタイ)」と東の「」の間に割り込むような位置(挟まれた位置)に存在していました。

西夏」は、チベット系の「」族から出たタングートが建てた国です。「契丹」と「」の対立、緊張関係の中で賢く立ち回りながら常に有利にことを進め生き残ってきた国です。

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