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YouTubeのリンクから来られた方は、とばして次の「使用上の注意」にお進みください。
これは『テンプレ世界史』シリーズのひとつです。他をまだご覧でない方はそちらもあわせてどうぞ。
使用上の注意
今回のフレーズは、「中国王朝名の歌(例のアルプス一万尺のやつ:小中学生用)」対応になります。あの歌の脆弱性が改善します。
一応、自分でも上げています。覚えていない場合はそれを先に覚えてから、もう一度お会いできれば嬉しいです。
高校生版(もしもしカメよですかね)があるのは知っていますが『あんなんいらん』というスタンスです。
覚えてない生徒をたくさん見てきているので。
フレーズ
五胡十六国の「五胡」
「匈奴の戦費は今日決定」→「匈奴・鮮卑(センピ)・羌(キョウ)・羯(ケツ)・氐(テイ)」
北朝
「鮮卑の北魏が東西分かれて最終的には隋統一」
1 (鮮卑族)
1 ↓
1 北魏
1 ↓
1 東魏← →西魏
1 ↓ ↓
1 (北)斉 (北)周
1 ↓ ↓
→ → → → 隋統一
南朝
「東進行こうか?」「そうせい、リョウちん。」
→東晋以降が、宋斉梁陳
戦国時代の「七国」
「清楚、深遠、菅議長」→斉楚秦燕韓魏趙
五代十国の「五代」
後梁後唐後晋後漢後周
解説
五胡十六国の「五胡」
「匈奴の戦費は今日決定」
意味は分かると思います。「匈奴」の戦費が今日、決定した、というそのままの意味です。これにひっかけて「五胡十六国」の「五胡」を全部覚えてしまおうということです。
順番に「匈奴・鮮卑(センピ)・羌(キョウ)・羯(ケツ)・氐(テイ)」となります。
山川の教科書では、匈奴・羯・鮮卑・氐・羌の順になっています。その他、匈奴・鮮卑・羯・氐・羌などとしているものも見られます。
順番が決まっている訳ではないですが、「羯」がもと、匈奴に服属していたこと、「氐・羌」がともにチベット民族であること、あるいは「五胡」それぞれの場所などが、情報として反映されているものかと思われます。
テンプレ世界史では、「匈奴の戦費は今日決定」で、まず「五胡」の名前をしっかり覚えます。「匈奴・鮮卑(センピ)・羌(キョウ)・羯(ケツ)・氐(テイ)」そのままですね。
次に、「羯」は「匈奴のケツ」と覚えます。
「羯」には申し訳ないですが、「羯」が匈奴に服属していたことと、場所的に匈奴のすぐ下であることからこのように覚えさせていただきます。
これで五胡の内「羯」が消えます。
「匈奴」は民族系統不明です。
「黄河」は渤海から、大体続け字でNs字カーブを描くのですが、教科書などをみると分かるように、Nの字の左上のくぼみ部分に「匈奴」が来ます。
この「匈奴」を中心に、「鮮卑」は恐らくモンゴル系と言われているのでモンゴル高原、つまり匈奴の「上」です。「羯」は「匈奴のケツ」なので匈奴の「下」
「羯」が消えたので、「羌・氐」が並んでいる状態です。これらはチベット系なので西です。
「匈奴」を中心にみれば、左になります。上から「羌・氐」そのままの順番です。
このように覚えれば、場所や民族系統の関係も解決します。以上です。
民族系統が覚えられない!という場合は、
「鮮卑モンゴル匈奴は不明、氐羌チベット羯トハラ」とサブフレーズ化して覚えてしまうのもよいでしょう。
「鮮卑モンゴル」はともかく「羯トハラ」は推定に過ぎませんが、上でみたように、覚えるためには個別のイメージ付けが大切なので、そのための情報は決して「ムダ」ではありません。
北朝
「鮮卑の北魏が東西分かれて最終的には隋統一」
これは、うまいですね。
これ、わたし、作りました。
南北朝の北朝は、実際このフレーズ通りに推移します。
1 (鮮卑族)
1 ↓
1 北魏
1 ↓
1 東魏← →西魏
1 ↓ ↓
1 (北)斉 (北)周
1 ↓ ↓
→ → → → 隋統一
「鮮卑の北魏」とは、鮮卑族の「拓跋氏」が「北魏」を建てたことを意味します。
鮮卑族から「北魏」がでて、これが「東魏」と「西魏」に分かれ、更に「東魏」から「北斉」へ、「西魏」から「北周」へと変遷し、最後に「北周」に仕えた楊堅が「隋」を建て、北朝ばかりでなく南朝を含む中国を統一したという流れです。
1.「北魏」が「東西」に分かれ、ということは当然「東魏」と「西魏」です。
2.「最終的に」は「斉(サイ)・周(シュウ)」的に、という意味ですが、これらに「北」をつけるのは、「北朝だから」と思ってください。
または、「北魏」の「北」をスライドしたと思ってもOKです。
「北」を付けると、「北斉(ホクセイ)」「北周(ホクシュウ)」となります。ホクサイではないので注意してください。
3.「東西」に分かれ、「斉・周」的に、というように、前の「東魏」が前の「北斉」、後の「西魏」が後の「北周」と対応します。
4.「最終(斉・周)的に」→「隋統一」なので「隋」は「北周」から出てきた、と覚えられます。「周」が「終」ですからね。
南朝
「東進行こうか?」「そうせい、リョウちん。」
→東晋以降が、宋斉梁陳
これは見たまんまですかね。「東晋」以降が「宋」→「斉」→「梁」→「陳」の順番で推移することを意味しています。もちろん最終的には「隋統一」です。
*「東進行こうか?」このフレーズ要る?という話ですが、結構重要です。
「東晋」が南朝の初まりです。
その前の「晋」が匈奴にやられて、南京(建康)に逃げた一族が立てたのが「東晋」なわけです。
このことから、匈奴にやられる前の「晋」を逆に「西晋」と呼びます。
だから順番としては「西晋」→「東晋」となります。
で、「殷周春秋戦国…」と覚える「周」もやっぱり「西周」→「東周」と分けて呼ばれます。
これらは、「西と東どっちが前だっけ?」となり易いのですが、「東晋以降が」のワンフレーズですべて解決します。
「東晋」はすでに南朝の初まりなので、「西晋」→「東晋」。周もこれと同じパターンなので、「西周」→「東周」です。
「小中学生用アルプス一万尺のやつ」の脆弱性を改善するとはこういうことです。
その他、「北宋」→「南宋」のパターンがありますが、こんなものは、北から異民族が押し寄せて南に逃げるのは当たり前なので、よほど歴史の流れを無視しない限り、「北宋」→「南宋」で迷うことはないでしょう。
戦国時代の「七国」
「清楚、深遠、菅議長」→斉楚秦燕韓魏趙
これは、国名そのままですので、そのまんまだと思って覚えてもいいと思いますが、ちょっとイメージ付けとして言葉を換えて書いています。
「菅議長」はまあ、菅直人元首相でいいのではないでしょうか?
菅さんが麦わら帽子に白いワンピースの「清楚」そのものの服装で、「深遠」な笑みを浮かべて議長席に座っている姿をイメージしましょう。
五代十国の「五代」
後梁後唐後晋後漢後周 (コーリョーコートーコーシンコーカンコーシュー)
なにこれ、そのまんまじゃん!言われそうなので先に自分で書きました。
とはいえ、こういうのが本来の「数珠つなぎ暗唱(じゅず学)」の正しい姿なのです。
目が覚めましたか?
これを目にして「そのまんまじゃん」と思ったとしたら、小細工フレーズに慣れすぎてしまったということです。汚れていなかったあの頃に、初心に帰りましょう。
これは私自身、高校生の時こうして覚えました。つまり特別な暗記力はなくても覚えられるでしょう。
「小中学生用アルプス一万尺のやつ」の「隋唐ごーだーいー」の「五代」です。
(唐)→後梁→後唐→後晋→後漢→後周→(宋)という流れです。
「中国王朝建国者名」では「後梁」の「朱全忠」のみフォローしています。教科書にも出ているのは「朱全忠」のみですね。