インドネシアの王朝の変遷

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999995r - コピー - インドネシア

YouTubeのリンクから来られた方は、とばして次の「フレーズ」の説明にお進みください。

これは、一連のテンプレ世界史東南アジア編のひとつです。

*年号を覚えたい場合はこちらインドネシアの王朝年語呂を利用してください。

フレー

今回のフレーズは、

 スマトラ島のシュリーヴィジャヤに

 ジャワ島スンダ王

 遅れてマタラムシャイレンドラ朝

 作ったボロブドゥール

 クディリシンガサリマジャパヒト

 シュリーヴィジャヤを滅ぼすも

 最後はマラッカマタラムそれぞれ

 ポルトとオランダ領

パッと見ただけでも「長っ」という声が聞こえてきそうですね。でも、見た目ほどではないです。これは意味を理解したら音声をよく聞いて、リズムに合わせて覚えると思っているより早く済むと思います。

インドネシアと言いつつマレーシアを含みます。

①「シュリーヴィジャヤ」はそのまま「シュリーヴィジャヤ(王国)」です。スマトラ島南部パレンバンに中心がありました。

②「スンダ王」となっていますが「スンダ王」です。ジャワ島西部(左)にありました。

③ 「遅れてマタラム」の「マタラム」は「マタラム王国」のことです。
10世紀前半ジャワ島中部から東部(右)に移動し、以降を「クディリ王国」と呼びます。

④「シャイレンドラ朝」はそのまま「シャイレンドラ朝」です。「マタラム王国」同様ジャワ島中部にありました。「ボロブドゥール(寺院)」を作ったことで有名です。
8世紀後半から9世紀まで、「シュリーヴィジャヤ(王国)」を合わせて一つの王朝になっていたと言われます。

⑤ 「クディリシンガサリマジャパヒト」は「クディリ王国」「シンガサリ王国」「マジャパヒト王国」をつなげたもので、これらは全てのジャワ島の王国であり、かつ順番に前を滅ぼして出来た国が後ろに来ています。

⑥ 最後の「マジャパヒト王国」が14世紀後半シュリーヴィジャヤ(王国)」を滅ぼします。この際、シュリーヴィジャヤ最後の王子がマレー半島に逃げて、後に建国したのが「マラッカ王国」であるとされています。

⑦「最後はマラッカマタラム」の「マラッカマタラム」は「マラッカ王国」と「マタラム王国」で、どちらもイスラーム国家です。この「マタラム王国」と区別するために、最初の「マタラム」は「」を付けて呼びます。

16世紀の前半にポルトガルマラッカ王国の間に戦争がおこり、マラッカポルトガルに占領されます。
続いて17世紀になるとオランダ東インド会社による侵略が始まり、17世紀半ばには、マラッカポルトガル領からオランダ領になります。
更に、18世紀三次にわたるジャワ継承戦争の結果、マタラム王国は4分割されて、ジャワ島全域がオランダ東インド会社の支配下に置かれることになりました。

ねらい

今回の個別フレーズの「ねらい」については、初回のオリエントの国の移り変わりの「ねらい」に準じるものとします。ご覧でない場合はそちらを確認してください。

年号を覚えたい場合はこちらインドネシアの王朝年語呂を利用してください。

なお、『テンプレ世界史』のねらいや説明など、詳しくはこちらテンプレ世界とは?をお読みください。

とりあえず、年代だけ書いておきます。
*年号を覚えたい場合はこちらインドネシアの王朝年語呂を利用してください。

シュリーヴィジャヤ王国 (7世紀~14世紀)

スンダ王 (7世紀後半~1579)

マタラム王国 (8世紀前半~10世紀前半)

シャイレーンドラ (8世紀~9世紀)

クディリ王国 (10世紀前半~1222)

シンガサリ王国 (1222~1292)

マジャパヒト王国 (1293~1520)

マラッカ王国 (1402~1511) →ポルトガル領~1641→オランダ領

マタラム王国 (1586~1755)

*マラッカ・マタラム以外の主なイスラーム王朝

ドゥマク王国 (1475~1518)

アチェ王国 (15世紀末~1912) → 「チャム人」

バンテン王国 (1526~1813)

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