北インドの王朝年語呂【年号語呂合わせ】

テンプレ世界史インドの王朝の変遷 おまけページです。このページでは各王朝の成立した年滅亡した年ゴロ合わせで覚えていきます。

音声で耳から覚えやすいようにYouTube教材を上げています。こちらです。リズムをつかむために是非一度聞いておくことをお勧めします!

また、ゴロ合わせの基本的なルール(規則)についてはこちらを参考にしてください。


・マウリヤ朝

前322年〜前185年 あ、すが続いれマウリヤ朝

*「まあ」は「」の「」と「マウリヤ朝」の「」です。「さすがに続いた」と言いつつ100年そこらしか続いてないわけですが、初の統一王朝なのでさすがに100年以上は続いたやんということです。
さすが続いた」は「すが」は数字にならないので「すが」で前322年と分かる仕組みです。
更に「続いたやんこれ」の「れ」の数字に直せる部分を取ると185年となります。
すがいた』の部分だけで、成立年は覚えられます。更に『(続)れ』が引き出せれば滅亡も分かります。初めはここを中心に覚えるといいでしょう。
首都 パータリプトラ

サータヴァーハナ朝

前230年〜220年 紀元前に身を起こして後普通朝サータヴァーハナ

*「紀元前に身を起こして」の部分「紀元前」はそのままの意味で「に身を」の部分が230年になります。「起こして」で「」が入っています。
ここからが滅亡年です。
とりあえず「普通朝」が覚えられれば引き出せます。後220年です。
紀元前に身を起こす』と『(あと)普通朝』です。
首都 プラテシュパーナ

クシャーナ朝

紀元1世紀 紀元と起源がクシャクシャなっ朝クシャーナ朝

*起源(成立)が紀元(西暦)の始まりと大体同じ、ということで、これは語呂合わせでなくてもそのまま覚えてもOKです。形式上フレーズにしてみました。

  375年 クシャーナ朝皆ご一緒に滅亡す

*「ゲルマン人皆ご一緒に大移動」をもじったフレーズです。クシャーナ朝滅亡とゲルマン人大移動の始まりは同じ年だということです。
首都 プルシャプラ

グプタ朝

320年〜550年 3つ王ここをもちましてグプタ終了

*「3つ」は初めの3代の王で、グプタ朝は初めの3代の王以降はあまり勢力がふるいませんでした。「3つ」で成立年の320年を覚えます。
続きの「ここをもちまして」の「ここを」で滅亡年
550年を覚えます。
首都 パータリプトラ

ヴァルダナ朝

606年〜647年 群れろ無用な争いやめてハルシャ・ヴァルダナ

*ここでの「群れろ」は「みんな一緒に行動しろ」的な意味です。「無用な争いはするな」と。
ヴァルダナ朝は実質、ハルシャ・ヴァルダナ王一代の王朝で、その前もその後もインドは「群雄割拠」の時代で、みなばらばらに分かれて争っていた時代です。それでこのようなフレーズになりました。
群れろ』で成立年の606年、『無用な』で滅亡の647年を覚えます。
首都 カウナジ

ラージプート時代(略)

奴隷王朝

1206年〜1290年 奴隷王朝位置ずれむ1つくれ

*奴隷王朝は、ゴール朝が北インドに侵入しそこを任されたアイバクが自立して建てたイスラーム王朝です。『位置ずれむ』とはゴール朝のあったイランからインドへとイスラーム王朝が「位置をズラそう(ズレよう)」とやって来たいうことです。そして北インドを『1つくれ』と言って居座ったということです。この2つで成立年と、滅亡を覚えます。『位置ずれむ』が1206年、『1つくれ』が1290です。
首都 デリー
*初めの奴隷王朝を覚えておけばデリー・スルタン朝の始まりは1206年と分かります。
デリー・スルタン朝の終わりは、ムガル帝国の成立年1526年です。

ムガル帝国

1526年~1858年 バーブル以降にムガル拡大

*ティムールの子孫バーブルが故郷だった中央アジアでの帝国再興を断念して北インドに攻め込んだことでムガル朝がはじまります。
実際にはバーブル以降に全インドにわたる帝国に拡大していきます。ということで、「バーブル以降にムガル拡大」『以降にム』で1526年です。
*コツは、「フレーズをしっかり覚えること」後は、千年以降の年号は必ず1(いち)から始まるので、「1を探す」様にするということです。
1526年

1858年 威は壊れてムガル滅亡

首都 デリー、アグラ、ラホールなど

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