*これは『年語呂年註-世界史版』のひとつです。手っ取り早く時代観を作りたい、という場合のために、東南アジアの年語呂の成立・滅亡年だけの簡易版を設けました。ベトナム・インドネシア(マレー)・モン人については本編が簡易版みたいなものなので、そちらにまわします。
*音声で耳から覚えるためYouTubeに教材を上げています。こちらです。文字だけではリズムをつかみにくいフレーズもスムーズに覚えられます。ぜひ一度聞いてみることをお勧めします。
チャムの国年語呂
① チャンパ
192〜1832 チャムの人の国チャムの人は満つ
*当たり前ですね。チャムの人の国だからチャムの人が満ちているわけです。
② アチェ王国
1496 必死苦労しアチェ建国
*これも意味はそれほど難しくないと思います。必死に苦労しないと建国できないでしょうから。
↓
・アチェ戦争→滅亡
1873〜1912 オランダのイヤな細工で悲痛な最期
*対オランダのアチェ戦争に敗れ
カンボジアの王朝年語呂
① 扶南→真臘
68〜550(扶南),550〜802(真臘)
扶南の村はここを統一心労(真臘)晴れつ
*扶南と真臘の成立滅亡年を一気に覚えてしまおうというずぼらなゴロです。村を統一できて心労(気苦労)が一気に晴れた、という意味。
②ー この間クメール王国 (アンコール朝)ー
*これもずぼらですが、とりあえずクメールは真臘の滅亡(802)から次の『暗黒時代』に入る1431年までとなります。
③カンボジア暗黒時代
1431 クメールの人の世裂いて暗黒時代
*アユタヤ王朝の度重なる侵攻により首都アンコールが陥落し、600年以上の繁栄を誇ったクメール王朝も衰微してその後首都を各地に転々とするようになります。
*洪水によってプノンペンに遷都した後の1511年のポルトガル人の記録には、このころすでに日本と交易していたことが記されています。
↓
④ フランス領
1863〜1953 フランスの人は無残ね引く、降参。
*植民地支配
⑤ 日本占領下1941〜1945
*太平洋戦争の期間と年号が同じです。
(行く良い地図に真珠湾・死んだ人の供養こらせ)
⑥ クメール共和国
1970 カンボジア行く成れクメール共和国
(カンボジア・クーデター以降)
ミャンマー(ビルマ)王朝年語呂
[ピュー文化圏](ピュー族)
・南詔から攻撃される
832 南詔がピューの都市群八ツ裂きに
*ピューはこの前の7~8世紀の間栄えました。ということで滅亡年のみです。
[パガン王朝]
・成立〜滅亡
1044〜1298 ワシも歳よとここに居着くわパガン朝
*申し訳ないですがそこまで深い意味はありません。ただ、ビルマ人はもと南詔に属していたものが南下してきたということからこういう語呂になっています。
[タウングー王朝]
・成立・滅亡
1531〜1752 引っ越さぁいいなーゴッツタウングー
*『タウン(街)グー(good)』ということから『引越せばいいやん』という語呂です。
[アラウンパヤー朝](コンバウン朝)
・成立
1757 ペグの人泣こーな今日からコンバウン
*再興したペグー王朝を制圧してコンバウン朝がビルマを再統一します。
↓
・滅亡
1885 コンバウン嫌やこんなの滅亡す
*イギリスとの戦いに敗れて英領のインド帝国に組み入れられました。
・ビルマ戦争(イギリス=ビルマ戦争)
1824〜86 いやに弱い野郎と目を付けビルマ戦争
*仕掛けたのはビルマ側なのですが、こいつはカモだと目をつけられてアラウンパヤー朝が滅亡したという語呂です。第一次から第三次にわたって完全に植民地化されてしまいます。
タイの王朝年語呂
[パヤオ王国]
・成立〜滅亡
1094〜1338 同盟を説くよい耳はパヤオ王国
*耳がパヤ(早)いと掛けました。
[ラーンナー王朝](チェンマイ王朝)
・成立
1292 タイの北部に1つ国ありラーンナー
*『タイの北部』と入れてあるだけで少しイメージがつきます。
↓
・バンコク朝の地方政権へ
1774 ラーンナーの人なーなーよシャムに帰す
*別になあなあではないと思いますが、独立性を失ってバンコク朝の地方政権となり最終的に吸収されていきます。
[スコータイ朝]
・成立
1238 いつ身は起こせるスコータイ
*『いつ建国したの?』とたずねるゴロです。ラヴォ王国の年語呂には『1239 育んだ人にサンキュースコータイ』としています。どちらでもいいと思います。
↓
・滅亡
1448 スコータイいーよ弱って消滅よ
*体力がなくなってフェードアウトしていく感じをゴロにしました。アユタヤ王朝に併吞されてしまいます。
[アユタヤ王朝]
・成立~滅亡
1351〜1767 いざ来い否むなアユタヤ王朝
*この王朝に限りませんが好戦的な性格をゴロにしました。さあ来い断るな、売られたケンカは買えということです。
[トンブリー朝]
・滅亡
1767〜1782 王の人縄に縛られトンブリ滅亡
*アユタヤ滅亡後にその旧領を統一したタークシン王はその後、乱心したとして将軍のチャクリーによって処刑されてしまいます。ということで『縄に縛られ』滅亡したということです。
[バンコク朝](ラタナコーシン朝・チャクリー朝)
1782 イーナ奴ならチャクリー朝
*タークシン王を処刑した将軍のチャクリーによって開かれた王朝なのでチャクリー朝といいます。現在まで続くタイの王室です。
*ベトナムはインドシナ半島東岸、カンボジアはメコン川、タイはチャオプラヤ川、ミャンマーはエーヤワディー川の各流域を母胎として成立しました。
*原型としては、それぞれ『チャンパー(林邑)』『扶南』『ドヴァーラヴァーティー』『ピュー(驃)』が存在した場所に対応をなしています。
*チャンパーはチャム人、扶南はクメール系、ドヴァーラヴァーティーはモン人、ピュー(驃)はビルマ系で、ピュー人は、南下してきた後進のビルマ人に征服されているので、扶南以外はすべて、現在それらの地域の主をなしている民族とは異なっています。
チャム人やモン人はオーストロネシア系です。実際には扶南もまた、オーストロネシア系という説もあります。
これらの地域も、世界の他の多くの地域と同様に、後進の民族によって主導権を奪われ、民族分布も大きく塗り替えられている訳です。
*現在は、ベトナムはベトナム人、カンボジアはクメール人、タイはタイ人(シャム人)、ミャンマーはビルマ人が主要な民族です。