*フレーズ確認のために設けたページです。内容の説明はこちらを参照してください。→『上代年語呂【年号ゴロ合わせ】』
上代年語呂
57 漢に向けこんな国です奴の国は 後漢 漢委奴國王金印 志賀島
107 生口の人を並べて帥升朝貢 後漢
239 邪馬壹国まわりに柵はり魏に使い 卑弥呼 魏 親魏倭王金印
369 さあ向くぞ倭国と友好七支刀 百済王が倭王に贈った七支刀製作年
391 柵逸して半島出兵 好太王碑文 「好太王碑」辛卯年倭の半島侵攻
413 幾らでも来ればよいのさ東晋へ 倭が東晋安帝に貢物を献ずる 東晋・安帝
421 倭王讚冊封申請しに行こう 倭王讚朝貢 宋 武帝 除綬
425 倭王讚朝貢 宋 文帝
430 倭国王朝貢
438 読みは外れて倭王珍 倭王珍朝貢 安東将軍倭国王 宋 文帝
443 世々貢物倭王済 倭王済朝貢 安東将軍倭国王 宋 文帝
451 挨拶によー来いサービス六国諸軍事 倭王済 宋 文帝
「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東将軍」加号
1 倭国王朝貢 宋 孝武帝
462 将軍にしろっつーのと倭王興 倭王興朝貢 安東将軍倭国王 宋 孝武帝
471 この剣よーない稲荷山 埼玉稲荷山古墳鉄剣 「獲加多支鹵大王」
475 漢城陥落復興誓ってよー泣こう 高句麗により百済漢城陥落→熊津遷都
1 倭国王朝貢 宋 順帝
478 倭王武がシナはどうかと使いを送る 倭王武朝貢 宋 順帝
「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」
479 倭王武は何しなくても鎮東将軍 倭王武「鎮東大将軍」進号 南斉 高帝
489 獲加多支鹵ようやくに着く死の眠り 獲加多支鹵大王(倭王武)死去
502 死んでからされても困るに征東将軍 倭王武「征東大将軍」進号 梁 武帝
507 史実では始まりこれなと継体帝 男大迹王の即位
512 コイツ必死か任那併合 百済の加耶4地域併合
513 (翌年) 百済の加耶2地域併合 倭王承認→五経博士
524 加耶潰すこれがコツよと新羅侵略 新羅の加耶4地域併合
527 救援は鎮圧後にな磐井の乱 筑紫国造磐井の乱
531 込み入った世には適せず安閑帝 安閑天皇即位
532 金官もやられて至る降参に 金官国新羅に併合
535 古代にはこの御子あったと宣化帝 宣化天皇即位
538 好みは金色仏像伝来 百済より仏教の公伝(崇仏論争)
539 半島の工作悩ます欽明帝 欽明天皇即位
540 失脚し金村隠居小じんまり 大伴金村失脚
551 ここ一つ漢江回復行きますか 百済漢城回復
552 ここに来て容易に止まらぬ新羅の侵攻 新羅漢城ふくむ半島中部併合
553 ここも盛んに学問するよと三博士 百済から易博士・暦博士・医博士
562 加耶諸国この頃にははや消滅す 加耶諸国消滅
572 こんなにも敏い帝と敏達帝 敏達天皇即位
581 奥さんが怖い楊堅隋建国
585 こうやこう使い方はと用明帝 用明天皇即位
587 勝利者は蘇我馬子やな守屋の敗死 蘇我馬子が物部守屋を滅ぼす
587 古代からこうやってんな崇峻帝 崇峻天皇即位
589 楊堅の奥さん怖くて隋統一 隋が中国を統一する
592 この国の初の女帝は推古天皇 (馬子→崇峻天皇暗殺)推古天皇即位
593 国際的な摂政誕生 厩戸王の政治
600 倭が隋に遣使を送る「隋書」
602 観勒お疲れ来朝す 百済の観勒来朝して暦法伝える
603 豪族の群れ身を正せ冠位十二階 冠位十二階を定める
604 役人の群れ鎮める十七条 憲法十七条
607 群れなし海へ遣隋使 小野妹子らが第一回遣隋使 裴世清らと帰国
608 小野妹子らが第二回遣隋使 高向玄理・僧旻・南淵請安
614 何度でも向かっていーよ遣隋使 遣隋使
618 勢力無比や唐建国 唐建国
628 勢力無二や唐の国 唐が中国統一
629 温泉に向かって尽くる舒明帝 舒明天皇即位
630 向かってみれよ唐の国 第一回遣唐使
640 大陸の文化をむしれ留学生 高向玄理・南淵請安帰国
642 向かう世に夫亡き後皇極帝 皇極天皇即位
643 厩戸の後継ぎ無視さ入鹿襲撃 蘇我入鹿が山背大兄王を滅ぼす
645 朝廷の虫殺して乙巳の変 中大兄皇子・中臣鎌足ら 蘇我蝦夷・入鹿滅ぼす
虫殺し成って即位の孝徳帝 孝徳天皇即位
646 むしろこっちな大化の改新 「改新の詔」が出される
647 蝦夷への無用な怖れを消す2つの柵 新潟に渟足柵と磐舟柵(翌年)
649 朝廷の虫急激にいなくなる 左大臣阿部内麻呂病死
右大臣蘇我倉山田石川麻呂謀反→自殺
651 巨勢の子が「向こういってよ」新羅を拒絶 巨勢徳陀子(徳多)が新羅征討を進言
653 向こうさんの方も向こうよ遣唐使 第二回遣唐使
654 再渡唐 向こうで死んだ高向玄理 第三回遣唐使
655 崩御まで向こう五年は斉明帝 斉明天皇即位(皇極重祚)
660 このままじゃロクロク終われん百済滅亡 百済滅亡
661 集権に向かって無比な天智帝 中大兄皇子「称制」開始
663 白村江向かって無残な敗北す 白村江の戦い(唐新羅連合軍に大敗)
664 倭の人はムカムカしながら防衛講ず 壱岐・対馬・筑紫に防人と烽
664 豪族のムカムカ鎮める氏上 「氏上」を定め領有民の確認
667 遷さねばロクロク和めぬ大津に遷都 近江大津宮に遷都→翌年天智即位
668 半島の最古の室はついに滅亡 高句麗滅亡
670 役人の禄成るおおもと庚午年籍 庚午年籍(最初の戸籍)成立
671 出家して大海人禄ない人となる 大海人皇子皇太子を辞し出家→吉野
671 門口を建てて世に無な人となる 天智天皇崩御
672 甥の子の胸元つかむ壬申の乱 壬申の乱
673 暗殺の胸騒ぎして天武帝 天武天皇即位
675 私有民ロクなこと無い官僚制 豪族領有をやめ官僚制(位階昇進制)へ
676 朝鮮はロクな虫無く新羅統一 統一新羅成立
684 音で読む八色の色はくさと読む 「八色の姓」を定める
686 無理でもやろう持統天皇 天武天皇崩御→皇后(持統帝)
689 無益な欲捨て清御原令 飛鳥清御原令
690 役人が禄食うおおもと庚寅年籍 庚寅年籍成立
694 天壌の無窮の世願い藤原京 藤原京遷都
697 天壌の無窮な世願う文武帝 文武天皇即位
701 成れ一つに大宝律令 大宝律令
707 天皇になった女の元明帝 元明天皇即位
708 売り買いも盛んになれや和同開珎 和同開珎鋳造開始
710 何と見事な平城京 平城京遷都
712 何重に意味を巡らせ古事記完成 古事記成立
713 成立に期限はないさ波あるさ 風土記編纂命令 →現存「出雲国風土記」
715 史書も成りなー行こう皆で元正帝 元正天皇即位
720 何をさしおいても歴史書日本書紀 日本書紀成立
720 何をさしおいても惜しい不比等の他界 藤原不比等の死去
721 何ひとつ遮るものなき右大臣 長屋王右大臣
722 何つー風呂敷百万町歩開墾計画 百万町歩開墾計画
723 何三世所有できるの?一身の法 三世一身の法
724 何にしろ遮るものなき左大臣 長屋王左大臣
724 崇仏の天皇の名に聖武帝 聖武天皇即位
729 奈良に窮する長屋王 長屋王の変
729 何食わぬ顔してエポック光明子 光明子皇后となる
734 我大事成さんよ武智麻呂右大臣 藤原武智麻呂右大臣
737 深刻な波なり藤原四子みな病死 藤原氏4兄弟天然痘で相次ぐ病死
738 波はキテルな橘モロえー 橘諸兄右大臣 吉備真備 玄昉
740 皆俺になー寄れ広嗣あえなく敗死 藤原広嗣の乱
740 同じ場所なしおれんのか恭仁京 恭仁京に遷都
741 国ごとの除災に名良い国分寺 国分寺国分尼寺建立の詔
743 建ったなら災いなしさ奈良の大仏 大仏造立の詔(東大寺盧舎那仏像の建立の詔)
743 墾せば公地はなしさ私財法 墾田永年私財法
744 なんしよん?趣味引っ越しか難波京 難波京遷都
745 なしコロコロと紫香楽宮 紫香楽宮遷都
745 なしコロコロと平城京 平城京に戻る
749 問題の割には名良く孝謙帝 孝謙天皇の即位
751 文化的な国の名来いと懐風藻 懐風藻成立
752 奈良のごっつい大仏開眼供養式 大仏開眼供養
757 奈良のこんな業績他なし養老律令 養老律令成立
757 不運に泣こうな奈良麻呂の変 奈良麻呂の乱 橘奈良麻呂 藤原仲麻呂
758 不運に泣こうや淳仁天皇 淳仁天皇即位 藤原仲麻呂(恵美押勝)
759 泣こう苦しみ慰むものは万葉集 万葉集成立
760 優秀な大臣に成ろう藤原仲麻呂 藤原仲麻呂太政大臣
760 他界する南無を唱えて藤三娘 光明皇后崩御
761 孝謙の病気を治す南無の人 道鏡が孝謙太上天皇の病気治療
764 結局は世の中南無よ仲麻呂の乱 藤原仲麻呂の乱 恵美押勝の乱
764 結局は世の中南無よ称徳帝 称徳天皇即位 孝謙重祚
765 道鏡は南無の効果か太政大臣 道鏡が太政大臣禅師となる
769 清麻呂の名無窮に残す宇佐の神託 宇佐神宮神託事件 和気清麻呂
770 斜め坂 毬と転がる道鏡追放 道鏡下野薬師寺別当として追放
770 中々のレアな天皇光仁帝 光仁天皇即位
780 蝦夷の乱何貼る男か伊治呰麻呂 宝亀の乱 多賀城焼失
781 名は一つ頭抜けてる桓武帝 桓武天皇即位
789 何の約束結ばせられず古佐美惨敗 紀古佐美征東将軍 阿弖流爲
792 仕方なく強い子集めて健児制 健児を採用
794 泣くようぐいす平安京 平安京遷都
802 破裂した阿弖流爲帰順に胆沢城 坂上田村麻呂征夷大将軍
蝦夷族長阿弖流爲の帰順