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YouTubeのリンクから来られた方は次の「フレーズ」の説明にお進みください。
これは『テンプレ世界史シリーズ』のひとつです。他をまだご覧でない方はそちらもあわせてどうぞ。『テンプレ世界史』目次ページはこちらです。
フレーズ
今回のフレーズは、
コーサラ・マガダのナンダ朝
マウリヤ・サタヴァナ・クシャーナンドラ
グプタ・ヴァルダナ・ラージプートに
奴隷スルタンムガール帝国
です。
①「サタヴァナ」は「サータヴァーハナ」の略です。「クシャーナンドラ」は「クシャーナ」と「アーンドラ」を続けて言ったものです。
② 北インドの王朝の流れは「マウリヤ朝」→「クシャーナ朝」→「グプタ朝」→「ヴァルダナ朝」になります。
③「サータヴァーハナ朝」はインド中央部(デカン高原中心)にあった王朝で、「サータヴァーハナ朝」と「アーンドラ朝」とは全く同じ王朝です。どちらの呼び方も知っておいた方がいいので二つとも入れました。前後は特に意味はありません。
④「マウリヤ朝」は一時はインドをほぼ統一しますが「マウリヤ朝」の後退後、そのもとに服従していた「サータヴァーハナ朝」の勢力が大きくなるため、ここに入れました。「マウリヤ→サタヴァナ」こういう感じです。「クシャーナ・(ア)ンドラ」は、同時代の王朝のセットになります。
⑤「奴隷スルタン」の「奴隷」は「奴隷王朝」のことですが、次の「デリー=スルタン朝」の「デリー」と懸けています。「ドレー」→「デリー」ということです。
*尚、「奴隷王朝」も「デリー=スルタン朝」の一部に含まれますので気を付けてください。
ねらい
今回の個別フレーズの「ねらい」については、初回の『オリエントの国の移り変わり 』の「ねらい」に準じるものとします。ご覧でない場合はそちらを確認してください。
① 発展で各王朝の首都を覚えたい場合はこのページです。
② 各王朝の成立・滅亡年を覚えたい場合はこのページです。
*なお、『テンプレ世界史』のねらいや説明など、詳しくはこちら「テンプレ世界とは?」をお読みください。
流れ
では、王朝交替の「流れ」です。
1 コーサラ国・マガダ国のナンダ朝
1 ↓
マウリヤ朝・サータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)
1 ↓
クシャーナ朝・サータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)
1 ↓
1 グプタ朝
1 ↓
1 ヴァルダナ朝
1 ↓
1 ラージプート諸勢力
1 ↓
1 デリー=スルタン朝
1 ↓
1 ムガル帝国
このフレーズで扱っている王朝は、北インドを主としたものです。
なので、正確には「北インドの王朝の変遷」とした方がいいのですが、「サータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)」も入れたので一応「インドの王朝」としています。
南インドについては「チョーラ朝」、デカン高原の「ヴィジャヤナガル王国」なんかは教科書にも載っていますね。
南インドは「絶対覚えておくべき王朝」が少ないので、後から補足していけばよいという考えです。ただ「南インド編」のフレーズもその内上げるかもしれません。
→南インドについては現在のところ『南インドの王朝年語呂』で対応しています。
*インダス文明からアーリア人侵入までの流れは割愛しています。
*ムガル帝国以後のマラーター王国やシク王国、マイソール王国などについては、イギリスによる植民地化とインド帝国成立の流れの中で存在がたどり易いという理由からこれらもはずしました。
簡単な解説
おおまかに内容を解説しておきます。前にも書きましたが、上に書いてある「フレーズ」と「流れ」を理解した上でフレーズの暗誦、これが『テンプレ世界史』の基本になります。「学校で勉強する内容に沿ってやっていくよ」という方はそれでOKです。
ただ小難しいことは書いてないので、イメージ付けにはいいと思います。読み流してみてください。
コーサラ国とマガダ国
コーサラ国とマガダ国は、ガウタマ=シッダールタ(ブッダ)、つまりお釈迦さんがいた時代の国で、伝説なんかで色々と記録が残っている国です。
初めに強かったのはコーサラで、お釈迦さんが出たシャーキャ族もコーサラに滅ぼされてしまいました。
ところが最終的にはそのコーサラ国もマガダ国に滅ぼされてしまいます。
また「南無阿弥陀仏」で有名な極楽浄土の教えはマガダ国の王様きっかけで説かれた教えということになっています。
日本人にもまったく縁がない国ではないということです。
マガダ国ナンダ朝→マウリヤ朝
で、そのマガダ国ですが、一口に「マガダ国」と言っても、その中でいくつか王朝が交替しています。
つまり、国は一緒でも王家が別の血筋に変わっている、ということです。
「マガダ国のナンダ朝」と書いてあるのは「マウリヤ朝」に変わる直前の王朝が「ナンダ朝」だったということです。「ナンダ朝」以前にもいくつか王朝の交替がありました。
なので、正確には「マウリヤ朝」は「マウリヤ朝マガダ国」で「ナンダ朝マガダ国」から王朝が変わっただけという解釈です。
ただ、「マウリヤ朝」はインドをほぼ統一にこぎつけた最初の王朝なので「マウリヤ朝」と個別に呼ばれます。
これに対して次の「クシャーナ朝」は純粋な征服王朝で「匈奴」にしつこく逐われて北アジアから逃げてきた「月氏」が中央アジアに建てた「大月氏国」の一部が成長したものです。
大月氏国が置いた「五翕侯(ごきゅうこう)」の中のひとつ「貴霜翕侯(クシャンきゅうこう)」というのが独立して「クシャーナ朝」に成長したとされています。
なので、地図で確認してもらえば分かるように「クシャーナ朝」は、北寄りどころかインダス川を中心としたアフガニスタン・パキスタン辺りが主の国です。
グプタ朝→ヴァルダナ朝→ラージプート諸勢力
グプタ朝とヴァルダナ朝は、地図を見てもらうと分かりますが、どちらも北インドの統一王朝です。北インドの古代王朝最後の時代です。
グプタ朝は13代続いていますが、イメージ的には足利政権みたいなもので、3代チャンドラグプタ2世の時代に全盛を迎えて以後は地方勢力を抑えられず、200年くらいかけて緩慢な死に向かいます。
然し、文化面では古典インド文化の完成期とされていて、インド人の宗教として有名なヒンドゥー教もこの時代に成立しています。
グプタ朝は4代目あたりからエフタルの侵入に悩まされ始め、最終的にエフタルの侵攻よって滅亡します。エフタルは、「セレウコス朝シリアからイスラム帝国へ 」で扱っています。
ヴァルダナ朝は、実質ハルシャ・ヴァルダナ王一代の王朝です。
グプタ朝の後の「天下統一」と行きたいところですが、実際には北インドの古代王朝最後の輝きのような王様で、これ以後北インドは混乱期に入っていきます。
「西遊記」で有名な玄奘三蔵は、ラッキーなことにこの王様の時代にインドを訪れて仏教を学びました。
その後、北インドはラージプート(王子様)を自称する勢力が並び立つ「群雄割拠」の時代に突入します。ラージプート(王子様)というのは、由緒あるクシャトリア(武士)階級出身であることをアピールした自称ですが、どうも中央アジア辺りから侵入した異民族ではないか?と言われています。
が、確定していないので教科書では「ラージプートの諸勢力」とお茶を濁したような言い方になっています。この時代を「ラージプート時代」と言います。
この時期は「イスラームの国の変遷①」で扱っている様に「サーマーン朝」から出た「ガズナ朝」、それに続く「ゴール朝」が頻繁に北インドに侵入を繰り返していた時代です。
「ラージプートの諸勢力」は一応団結してこのヨソモノに立ち向かってイスラーム勢力のインド侵入を食い止めていました。
然し、最終的には「ゴール朝」にゴールを決められ、敢えなく征服されてしまいます。
デリー=スルタン朝(奴隷王朝~)
ゴール朝に征服されたなら、北インドは「ゴール朝」になるはずなのに何で「奴隷王朝」やねん!って話です。そういうの大事ですね。
ゴール朝による征服後、北インドの支配を任されていたマムルーク(奴隷出身の軍人)の将軍アイバクは、デリーに都をおいて奴隷王朝を建てて自立してしまいます。
とはいえ、勝手にそんなことができるはずがありません。実はその頃、本国のゴール朝はカラキタイ(西遼)と手を組んだホラズムに打ち負かされた上、王様も死んで支配下の軍団が次々に離れていくという大変な状況になっていました。
その機会をうかがってアイバクは自立して王朝を建てた訳です。
「奴隷王朝」という名前は、アイバクがマムルーク(奴隷出身の軍人)であったことから付けられた名前です。
これ以後、北インドでは、約300年間デリーを都とするイスラーム王朝が続きます。これをデリー=スルタン朝と呼んでいる訳です。
デリー=スルタン朝とまとめて呼ばれている王朝は全部で5つ、アイバクの奴隷王朝以外にあと4つあります。
順番に並べてみますと、
奴隷王朝→ハルジー朝→トゥグルク朝→サイイド朝→ロディー朝
みたいな感じです。
奴隷王朝以外のデリー=スルタン朝の王朝名については、
と覚えていて、受け持った生徒もこれで覚えているので載せておきます。
「ハル爺」というベテランのドロボーとペアを組んでドロボーのお仕事をできることになって、何ていいドロボー日和なんやぁ、という意味です。まあ…適当ですが(笑)