これはテンプレ世界史―ヨーロッパ編『イギリスの国王【早覚え完成】A』の続きB段階です。
各事績ごとにゴロ合わせを用意してあります。音声で耳からも覚えやすいようにYouTubeに教材を上げています。こちらです。『年語呂年註』目次ページはこちらです。
また、ゴロ合わせの基本的なルール(規則)についてはこちらを参考にしてください。
[アングロ=サクソン]
① エグバート(ウェセックス王)七王国統一
829 アングロ=サクソンヘプターキーの運は尽く
↓
② アルフレッド大王ノルマン(ヴァイキング)撃退
・デーン人の勢力範囲をイングランド東北部に限る平和条約を結ぶ。
878 やな奴追い出し平和条約
・アルフレッド大王ロンドン回復
886 やっぱロンドンうちのもの
・以降の度重なるデーン人再侵入を阻止
893 ヤクザ野郎のデーン撃退アルフレッド
↓
[デーン朝]
① デーン人 クヌート(カヌート)の征服(1016):デンマークのノルマン人
1016 クヌートが今披露するデーン朝
↓
<一時、アングロサクソン王家復活>
↓
[ノルマン朝]
① ノルマンディー公ウィリアム(ウィリアム1世)(1066)
[前史] *ヴァイキングの一派ロロがノルマンディー公国を建てる(911) 911 ロロが食い入るノルマンディー |
↓
① ウィリアム1世の即位
1066 今室が建つノルマン朝
↓
[プランタジネット朝]
① ヘンリ2世(血縁関係でフランスから)(1154)
1154 血統はいい子よそものヘンリ2世
↓
② リチャード1世(獅子心王)(子)
→第3回十字軍
1189 聖地奪回人々約して第3回
→リチャード1世とサラディンが講和する(1192)
1192 お互いにいい国の王と認めて帰る
↓
③ ジョン王(弟)→教皇インノケンティウス3世に破門される(1209)、マグナ=カルタ(1215)
1209 教会の人に送らる破門状
1215 国王の人に以後課すマグナカルタ
↓
④ ヘンリ3世(子)→大憲章無視→シモン=ド=モンフォール(1265)
1265 いつから向こうに風が吹いてるシモンドモンフォール
↓
⑤ エドワード1世(子)→模範議会(1295)
1295 反対も言い含めてこう模範議会
↓
⑥ エドワード3世→百年戦争きっかけ(1339)
1339 人散々苦しむ百年戦争
→エドワード黒太子(百年戦争で活躍)
↓
[ランカスター・ヨーク]
・バラ戦争(1455〜)
1455 いよいよここにバラ戦争
↓
[テューダー朝]
① ヘンリ7世(1485)→星室庁裁判所→王権強化
1485 ランカスヨークの人々弱ってこの男
↓
② ヘンリ8世 (子)→首長法(国教会)(1534)
1534 王様は教会コミよ首長法
↓
③ エドワード6世 (子)(教義改革)
④ 女王メアリ1世(血のメアリ)(姉)(カトリックに戻す→新教弾圧)
↓
⑤ エリザベス1世 (妹)
1. 統一法(イギリス国教会)(1559)
1559 イギリスは以後国教会統一よ
2. アルマダの海戦(1588)
1588 以後ワヤになる無敵艦隊
3. 東インド会社(1600)
1600 人群れを海外押し出す東インド会社
[ステュアート朝]
① ジェームズ1世(スコットランド王家)→王権神授説
1603 ブリテン島色々治めるスチュワート朝
↓
② チャールズ1世 (子)→イギリス革命(ピューリタン革命)(1640〜1660)
1628 神の権威も無限にはない権利の請願
1640 王の人ムシを重ねて議会解散
1642 王の人無用になったとピューリタン
1649 チャル1の血の色で敷く共和制
↓
・クロムウェル
1651 一路来い中継ぎとおすな航海法
1652 対岸の人向こうに回し英蘭戦争
↓
③ チャールズ2世(子)→王政復古
1. 専制的、カトリック擁護→審査法(1673)・人身保護法(1679)
1660 一路群れなし王政復古
1673 色んな定めを審査法
1679 国民の色んな苦しみ防ぐ保護法
2. トーリ(ならず者)・ホイッグ(謀反人)両党成立
↓
④ ジェームズ2世(弟)
→カトリックと絶対王政復活
→名誉革命(1688)→亡命
1688 ジェム2逃亡広場は無血の名誉革命
↓
⑤ ウィリアム3世・メアリ2世
(オランダ総督ウィレム・メアリ)
→権利の章典(1689)
1689 色々約束権利の章典
1694 イングランド銀行政府の物入り向くシステム
↓
⑥ アン女王
→大ブリテン王国(1707)
1707 イーナおんなじ大ブリテン
↓
[ハノーヴァー朝]
① ジョージ1世 (ハノーヴァー選帝候)(1714)
1714 後継ぎいないよハノーヴァー朝
↓
② ヴィクトリア女王(1837~1901)
1837~1901 イギリスが強すぎ嫌さな人暗れい
B段階
・A段階で覚えた国王名にその代に起こった事件や事績の年号ゴロ合わせを付け足しました。 ・国王ではジョン王の兄、つまりヘンリ2世の息子に当たる『獅子心王リチャード1世』を付け足しました。どの道十字軍の特集をしたら入れることになるので、先に入れておいた方が分かりやすいという判断です。 ・YouTubeの教材は、ほぼ、上に書いてあるゴロ合わせの通りになっていると思います。文字で見ると一見ゴロが悪そうなフレーズでも、音声で聞くと意外とリズムがあると分かってもらえると思います。 ・フレーズの意味が分からないと覚えられないのは当然ですね。ということで次の節に各フレーズの説明がしてあります。読んでみてください。 ・基本的に覚えられるなら自由に覚えてもらって構いませんが、ちょっとした『コツ』を挙げています。こちらを参照してみてください。 |
フレーズの説明
* 内容は、原則的には教科書に書いてある内容を基準にしています。
*『ちょっと詳しめの説明』も用意してみました。読んでみたい方はこちらのリンクです。
[アングロ=サクソン]
① エグバート(ウェセックス王)七王国統一
829(ハツク)アングロ=サクソンヘプターキーの運は尽く
*エグバートはイングランドの七王国(ヘプターキー)の一つ『ウェセックス』の王で、初めて七王国を統一しました。
* 『奴ならやるわエグバート(827)』と音声はなっていますが、現在は、上の年号に統一しています。教科書の年号です。
→『ゲルマン人の大移動年語呂①』
② アルフレッド大王デーン人(ノルマン)撃退
878(ヤナヤ) やな奴追い出し平和条約
*デンマーク(ユトランド半島)のノルマン人一派デーン人が、ヴァイキングとしてブリテン島に侵入します。アルフレッド大王はこれを撃退し、デーン人の居住地をイングランド東北部に限り認めることで平和条約を結びます。(ウェドモーアの和議)『やな奴』はもちろんデーン人です。
886(ヤッパロ) やっぱロンドンうちのもの
*その後もデーン人との抗争を続きますが、アルフレッドは海軍など軍備の強化に取り組み、ロンドンをとり返します。
893(ヤクザ) ヤクザ野郎のデーン撃退アルフレッド
*893年以降もデーン人の侵攻がしばしばおこりますが、アルフレッド大王はこれらを退けました。この『ヤクザ野郎』も、もちろんデーン人です。
[デーン朝]
① デーン人 クヌート(カヌート)の征服
1016(イマヒロー) クヌートが今披露するデーン朝
*デーン人のクヌートはデンマーク王家で、父の代からイングランドに侵攻していました。
アングロ=サクソンの家臣団が会議した結果、結局彼らに推挙されるという形でイングランド王に即位します。クヌートが皆に推挙されて『デーン朝』をお披露目したということです。
[ノルマン朝]
① ノルマンディー公ウィリアム(ウィリアム1世)即位
*もともとノルマンディー公国の始まりは、ノルマン人ヴァイキングの一派、ロロが西フランク王国北部に侵入(911)したことがきっかけです。補足のためにここにゴロ合わせを入れます。
911(クイイ) ロロが食い入るノルマンディー
*このロロから数えて7代目にあたるのがノルマンディー公ウィリアムで、彼が血縁関係からイングランド王位を主張し、イングランドを征服するという形でノルマン朝が成立しました。これを『ノルマン=コンクェスト』と言います。
1066(イマムロ) 今、室が建つノルマン朝
→『室(むろ)』は単に『屋敷』というような意味で使っています。また、年号が『ロロ』になっているのも面白いですね。
[プランタジネット朝]
① ヘンリ2世、血縁関係でフランスから即位
1154(イイコヨ) 血統はいい子よそものヘンリ2世
*フランス出身で、母方でウィリアム1世の孫にあたります。『血筋はいいけど、ヨソ者だね』という意味です。
② リチャード1世(獅子心王)第3回十字軍
1189(ヒトビトヤク) 聖地奪回人々約して第3回
*リチャード1世(獅子心王)は第3回十字軍で活躍しました。第3回十字軍の年号と一緒に覚えます。覚えて損はありません。『約して』は『約束し合って』みたいな意味です。
1192(イイクニ) お互いにいい国の王と認めて帰る
*リチャード1世と敵のアイユーブ朝のサラディンは、どちらも互いの武勇を認める言葉を残しています。リチャード1世がサラディンと講和して第3回十字軍が終了します(1192)
② ジョン王が教皇インノケンティウス3世に破門される
1209(ヒトニオク) 教会の人に送らる破門状
*教科書に書いてある通り、ジョン王は、カンタベリー大司教の任命について、教皇インノケンティウス3世と争い、教皇に『破門』されました。『教会の人』とは『インノケンティウス3世』のこと、『教会の人に送らる』は『教会の人から送られる』という意味です。
1215(ヒトニイゴ) 国王の人に以後課すマグナカルタ
*教科書では、イギリス議会政治の発展をテーマとして、ジョン王・ヘンリ3世・エドワード1世の3人の国王にふれています。
*ジョン王は諸侯らに迫られて初めて『マグナ・カルタ』を承認した国王です。(1215)
④ ヘンリ3世、マグナ・カルタを無視→シモン=ド=モンフォールらが反抗、議会で改めて諸侯の要求を承認
1265(イツカラムコー) いつから向こうに風が吹いてるシモン=ド=モンフォール
*ジョン王の子のヘンリ3世もマグナ・カルタを無視するなど、諸侯と対立したため、シモン=ド=モンフォールらが立ちあがり、ヘンリ3世に諸侯の要求を認めさせました。(1265)
『あれ、国王の方が立場上のはずなのにいつから向こうに(追い)風が吹いてるの?』みたいな意味です。
⑤ エドワード1世のもと模範議会が開かれる
1295(イーフクメテコー) 反対も言い含めてこう模範議会
* エドワード1世のもとで招集された議会です。様々な社会各層を代表するものが広く招集されたので『模範議会』と呼ばれました。(1295)
* 大体、国王が議会を開きたくない理由は反対されるのが嫌だからですが、そうじゃなく『反対意見があってもちゃんと議会で説明して言い含めていこうや』みたいな、エドワード1世側の立場に立ったフレーズです。
⑥ エドワード3世が百年戦争きっかけになる(1339)
1339(ヒトサンザンク) 人散々苦しむ百年戦争
*教科書にあるとおり、フランスのカペー朝が断絶した際に、エドワード3世が母方の血筋を理由に王位継承権を主張したことが百年戦争のきっかけになりました。『教科書そのまま系』のフレーズを作っています。リンクを聞いてみてください。
*『人散々苦しむ』のフレーズに異論はないでしょう。何と言っても『百年戦争』ですからね。それは散々苦しみますよね。
・エドワード黒太子(百年戦争で活躍)
*これも『教科書そのまま系』のフレーズを作っています。
[ランカスター・ヨーク]
バラ戦争
1455(イヨココ) いよいよここにバラ戦争
*これも『教科書そのまま系』のフレーズが作ってあります。ランカスター家とヨーク家の争いの中で、実力を現したヘンリ7世が即位してテューダー朝につながります。
*単純なフレーズだからこそ出てきにくいというのがあるので『いよいよここにバラ戦争』『いよいよここにバラ戦争』と何度も自分に言い聞かせましょう。
[テューダー朝]
① ヘンリ7世即位(1485)
1485(ヒトヨワッテコ) ランカスヨークの人々弱ってこの男
*『教科書そのまま系』のフレーズの中にも『意志はごっついテューダー朝』というゴロ合わせを入れています。どちらで覚えても構いません。『ゴロ合わせの宝石箱や』と言われるように頑張ります。
*ランカスター・ヨーク両家が争いの中でどちらも『弱って』結局『ヘンリ7世(この男)』が即位したというのは、『教科書そのまま系』のフレーズでもふれている通りですね。
② ヘンリ8世が『首長法』によってイギリス国教会の首長を宣言する(1534)
1534(イコミヨ) 王様は教会コミよ首長法
*イギリスのキリスト教改革(宗教改革)をテーマとして教科書ではヘンリ8世・エドワード6世・メアリ1世・エリザベス1世と4人の国王にふれています。
*国王は普通、国の『首長』で宗教は別のはずですが、そうじゃなく、教会も『コミ』で首長やらしてもらうんで以後よろしく、というのがフレーズの意味です。『会コミよ』はちょっと覚えにくいので、『534(コミヨ)』を中心にして覚えるといいでしょう。
③ エドワード6世 (子)(教義改革)
④ 女王メアリ1世(血のメアリ)(姉)(カトリックに戻す→新教弾圧)
*これら、二人の国王は年号には入れませんでした。あえて言えば女王メアリ1世の在位は(1553~58)なので『新教は以後降参こわ、血のメアリ』と覚えておくといいでしょう。
⑨ エリザベス1世 (妹)
- 統一法(イギリス国教会)(1559)
1559(イゴコク) イギリスは以後国教会統一よ
*女王メアリ1世のもとでカトリックに戻そうという反動的な動きがありましたが、結局『統一法』で『以後国教会』に『統一よ』ということになります。
- アルマダの海戦(1588)
1588(イゴワヤ) 以後ワヤになる無敵艦隊
*スペイン語で海軍を『アルマダ』と言い、スペインの無敵艦隊のことを通称『アルマダ』と言います。で『イギリスがスペインの無敵艦隊を破った戦い』のことを『アルマダの海戦』という訳です。特に名前を覚える必要はないですが、めんどくさいでしょ。『イギリスがスペインの無敵艦隊を破った戦い』って。
*『ワヤになる』というのは『ダメになる』といった意味です。実際にはスペインはこの敗北で大して『ダメにな』った訳ではないんですが、将来のスペイン海軍の衰退とイギリス海軍の勃興を『予見したような結果』になったくらいに思っておいてください。
- 東インド会社の設立(1600)
1600(ヒトムレヲ) 人群れを海外押し出す東インド会社
*イギリスの有名な『第一次囲い込み→毛織物工業』の流れ、『ドレークの海外周航→イギリスの海外進出』の流れの先にこの『東インド会社の設立』があります。こう覚えると要点が一挙に押さえられますね。『ドレークの海外周航(1577~80)』もエリザベス1世の時代です。ドレークの名前を忘れそうな人は『どれ行くオレ行く世界一周』と覚えておきましょう。
*もちろん『1600』というキリのいい年号は覚える助けになりますね。関ヶ原の戦いと同じ年です。フレーズは『イギリスの人の「群れ」を海外に押し出す』という意味です。『海外進出』のことですね。
[スチュアート朝]
① ジェームズ1世(スコットランド王家)→王権神授説をとなえる
1603(イロオサ) ブリテン島色々治めるスチュワート朝
*スコットランドの国王が、イングランド王位を継承する形でスチュアート朝が開かれます。後の1707年に合同して『グレートブリテン王国』が成立しますが、この時点では、国王は同じで、議会や政府は別という状態でした。こういう形態を『同君連合』と言います。で、スコットランド、イングランド2国の王なので『ブリテン島色々治める』というフレーズになっています。
② チャールズ1世 (子)→イギリス革命(ピューリタン革命)(1640〜1660)
*チャールズ1世は『イギリス革命(ピューリタン革命)』の際の国王なので多少年号が多くなっています。
・権利の請願
1628(イモムゲンニハ) 神の権威も無限にはない権利の請願
*『1(威も)6(無限)28(には)』と数字ごとに強調して覚えます。ちょっと強引ですね(笑) 語呂合わせも色々やっているとこういうことがしたくなってくるんですよ。
ふつうに『国王の色には染まらぬ権利の請願』とかで十分なんですがね。
・短期議会、長期議会(~53)
1640(ヒトムシヲ) 王の人ムシを重ねて議会解散
*チャールズ1世は国民の意見に対して無視を決め込んで11年議会を開かなかった後、1640年春の議会でも国王と議会が対立したため、すぐに解散してしまいました。同じ年の秋に開いた議会(長期議会)が具体的な『内戦』につながっていきます。
・王党派と議会派の内戦
1642(ヒトムヨーニ) 王の人無用になったとピューリタン
*もともと中学生はこの内戦を『清教徒(ピューリタン)革命』として覚えていたので、このようなゴロ合わせになっています。『王の人無用になった』というのは、議会派の中でも急進的な『独立派』の主張です。
1649(イロデシク) チャル1の血の色で敷く共和制
*鉄騎隊を率いた独立派のクロムウェルは、議会派を勝利に導くと、穏健派の『長老派』を追放してチャールズ1世を処刑してしまいます。『共和制を敷く』と『国王の血の色で敷く』をかけています。
クロムウェル
・航海法
1651(イチロコイ) 一路来い中継ぎとおすな航海法
・英蘭戦争
1652(ヒトムコーニ) 対岸の人向こうに回し英蘭戦争
*クロムウェルの独裁政権下ですが、当時のライバルであるオランダ潰しの政策が行われます。オランダは当時中継貿易で栄えていたので、『中継ぎをとおすな』というのが『航海法』で『一路来い』とは、貿易ではイギリスの船か、原産地の船を使って『そのまままっすぐ来い』ということです。
*『対岸の人』は『オランダ人』のことです。対岸の人なので初めから『向こうに回し』ているのですが、対立することを『向こうに回す』というので、これも言葉を懸けています。
③ チャールズ2世が王政復古 → カトリック擁護・新教徒の逮捕・弾圧 → 審査法(1673)・人身保護法(1679)
・王政復古
1660(イチロムレ) 一路群れなし王政復古
* クロムウェル死後、イギリスはあっという間に王政に戻ってしまいます。みんなで一つの道を進んで行った感じを『一路群れなし』と表現しています。
・審査法
1673(イロンナサ) 色んな定めを審査法
*『カトリック擁護』の立場をとったチャールズ2世に対して、議会が対抗して制定した『官吏を国教徒に限定する』法律です。宗教審査が行われる訳です。
・人身保護法
1679(イロンナク) 国民の色んな苦しみ防ぐ保護法
*また、新教徒の逮捕・弾圧などに関連して『国民を不当に逮捕・投獄することを禁じる』人身保護法が成立しました。
・トーリ・ホイッグ両党成立
*これは年号はありません。『人身保護法と大体同じころ』でいいと思います。
④ ジェームズ2世が、カトリックと絶対王政を復活しようとする → 名誉革命(1688) → 亡命
1688(ヒロバハ) ジェム2逃亡 広場は無血の名誉革命
*A段階で国王をしっかり覚えているみなさんは『ジェム2逃亡』は省略してOKです。『広場は無血の名誉革命』これだけですね。
⑤ ウィリアム3世・メアリ2世 (オランダ総督ウィレム・メアリ) → 権利の章典(1689)
1689(イロヤク) 色々約束権利の章典
*ジェームズ2世に代わってオランダから迎えられた国王が『権利の宣言』を受け入れて同年に議会が『権利の章典』として制定します。『色々約束』している訳です。100年後がフランスの『人権宣言』、更に100年後が『大日本帝国憲法』公布というのは有名ですね。
・イングランド銀行
1694(イリムクシ) イングランド銀行政府の物入り向くシステム
*『イングランド銀行』は政府への貸付を主な業務とする銀行で、後に中央銀行となります。『物入り』とは『出費がかさむこと』です。
⑥ アン女王 →大ブリテン王国(1707)
1707(イーナオンナ) イーナおんなじ大ブリテン
*アン女王のときにイングランドとスコットランドは合同して『グレートブリテン王国』となります。
[ハノーヴァー朝]
① ジョージ1世 (ハノーヴァー選帝候) (1714)
1714(イナイヨ) 後継ぎいないよハノーヴァー朝
*後継ぎがいなくなりドイツの『ハノーヴァー選帝候』が国王として迎えられました。
② ヴィクトリア女王 (1837~1901)
1837~1901(イヤサナヒトクレイ) イギリスが強すぎ嫌さな人暗れい
*『ヴィクトリア時代』はイギリスの黄金期です。でも、イギリス以外の国から見れば『そらぁ、嫌さなぁ』ということになります。イギリス以外の人々にとっては『クレイ(暗い)』話ですね。