『テンプレ世界史ータイの王朝の変遷』のおまけページです。このページでは各王朝の歴史の概略をゴロ合わせにそって見ていきたいと思います。
*音声で耳から覚えるためYouTubeに教材を上げています。こちらです。文字だけではリズムをつかみにくいフレーズもスムーズに覚えられます。ぜひ一度聞いてみることをお勧めします。
*例によってイメージ不足を補うためのページですので、ゴロは好きにつまみ食いしてください。成立・滅亡年だけのものはこちらです。→『東南アジア王朝年語呂(簡易版)』
【タイの王朝年語呂】
<タイ北部>
[パヤオ王国]
・成立〜滅亡
1094〜1338 同盟を説くよい耳はパヤオ王国
*耳がパヤ(早)いと掛けました。
*パヤオの地はタイ北部の険しい山に囲まれた台地で、面積で言えば小国ですが、パヤオ湖を中心に持つ水の豊富な農耕に適した土地です。12世紀シンハラート王が街を建設しました。
*『シンハ』がライオン『ラート』が王だとすると『獅子王』になるんでしょうか。
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・ガムムアン王【即位】
1258 周りの人に怖いと思わすガムムアン
*13世紀にガムムアン王のもとで勢力を伸ばし、スコータイのラームカムヘーン王や、ラーンナーのマンラーイ王と同盟を結ぶほど軍事的な強国であったと考えられています。
*『ガムムアン』我慢強そうな王様ですね。
[ラーンナー王朝](チェンマイ王朝)
・成立
1292 タイの北部に1つ国ありラーンナー
*現在のタイ北部、チャオプラヤ川の上流域のチェンマイを中心としてマンラーイ王が建国しました。
*モン人のハリプンチャイ王国を滅ぼした一方で、仏教の受容や建築、独自の文字の創出など文化的に進んでいたモン人の影響を大きく受けました。
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・マンラーイ王死後、元の朝貢国となる
1311元に向けいーさいちいち朝貢さ
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<6代クーナー王から9代ティロカラート王のもとで全盛期>
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・ビルマの覇権下
1558 以後怖いとビルマの一部
*ビルマの覇権のもとにおかれました。
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・ビルマから離反バンコク朝と結ぶ
1774 ラーンナーの人なーなーよシャムに帰す
*ビルマ側からバンコク朝のタークシン王に寝返り朝貢国となりました。その後、バンコク朝(ラタナコーシン朝)の中央集権の進行の中で完全にタイの一部となりました。
[スコータイ朝]
・成立
1238 いつ身は起こせるスコータイ
*モンゴル人の南下により雲南から移動しクメール王朝(アンコール)に従属していたタイ族がスコータイを拠点として自立しました。
*ラームカムヘーン王(3代)のとき大国となり全盛期を迎えます。ラームカムヘーン王は文武に優れた賢王とされ、後世のタイ国王にも影響を与えました。
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・ラームカムヘーン王がタイ文字をつくる
1283 功績のひとつは見事なタイの文字
*クメール文字をもとに独自のタイ文字を作り、ラームカムヘーン大王碑文を残しています。
*他に文化面では上座部仏教を保護し、セイロン島へ使節を派遣しました。
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・パヤオ・ラーンナーと同盟
1287 一つ嫌(や)な争いやめて三国同盟
*パヤオ王国のガムムアン王、ラーンナーのマンラーイ王と同盟を組みクメールや北の元の侵攻に備えました。
*また、元スコータイ軍人のワーレルーがペグー王朝を建国した際にこれを助け、ワーレルーはラームカムヘーンに臣従を誓いました。
*度量の広いイメージは『まーかまへんかまへんラームカムヘーン』という感じですかね。
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・アユタヤ朝がスコータイ朝を併合
1438 アユタヤと等しー都のスコータイ
*ラームカムヘーン王の死後、勢力を失っていったスコータイ朝は最終的にアユタヤ朝に併合されその地方政権となります。
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・滅亡
1448 スコータイいーよ弱って消滅よ
[アユタヤ王朝]
・成立~滅亡
1351〜1767 いざ来い否むなアユタヤ王朝
*ラヴォ王国のあったチャオプラヤ川下流域からおこり、海上交易を通じて港市を中心に発展しました。(港市国家)
*上座部仏教保護→各地に仏教寺院をつくる。
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・カンボジアのアンコール王朝(クメール王国)を滅ぼす。
1432 アンコールの人四散に至る
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・スコータイ朝を併合
1438 アユタヤと等しー都のスコータイ
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・タウングー朝ビルマの支配下に置かれる。→『緬泰戦争』
1569 トゥングーにイチコロ苦しむアユタヤ朝
*タウングー朝の侵攻により一時支配を受けました。
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・独立を回復
1590 一国まるく独立回復
*独立を回復しました。
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→アユタヤは国際商業の中心地に
*首都アユタヤの日本町栄える
(16世紀~
・国王が反逆を疑い日本町を焼き討ち
1630 日本町の人蒸されて滅亡す
~1639年日本の人むさくるしい鎖国令)
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・ナーラーイ王
【在位】
1656~88 フランスイーとむこう向くのが世の習いやわナーラーイ王
*フランスと友好関係を結び、ルイ14世に使節を派遣するなど親フランス政策をとりました。
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・シャム革命
1688 →ナーラーイ王在位参照
*ナーラーイ王の死後、反フランス勢力によるクーデターがおこり、タイは鎖国に入ります。
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1767 →最初の『成立~滅亡』年参照
*コンバウン(アラウンパヤー)朝によりアユタヤを破壊され滅亡しました
[トンブリー朝]
・滅亡
1767〜1782 王の人縄に縛られトンブリ滅亡
*タークシン王一代の王朝。タークシンは、アユタヤ滅亡後、コンバウン朝ビルマを排除し、アユタヤ旧領を併せて新王朝をひらきました。
*その後、タークシン王が乱心したとして将軍のチャクリーによって処刑されることでバンコク朝につながります。
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[バンコク朝](ラタナコーシン朝・チャクリー朝)
1782 イーナ奴ならチャクリー朝
*現在まで続くタイの王室