*これは『年語呂年註-世界史版』のひとつです。このページでは、17~18世紀の第二次百年戦争と呼ばれる英仏戦争の歴史の概略をゴロ合わせでおさえていきたいと思います。
*音声で耳から覚えるためYouTubeに教材を上げています。こちらです。文字だけではリズムをつかみにくいフレーズもスムーズに覚えられます。ぜひ一度聞いてみることをお勧めします。
<ヨーロッパでの英仏戦争>
・ファルツ継承戦争(アウクスブルク同盟戦争)
1688~97年 挑むわファルツの急な戦争
→イギリスはウィリアム3世即位後(1689)、アウグスブルク同盟に参加
・スペイン継承戦争
1701~1713 勝手な人なお人々難渋さ
・オーストリア継承戦争
1740~48 テレジアにたかりたい奴イーナ寄れ
(七年戦争の前の8年戦争と覚える)
・七年戦争
1756~1763 七年戦争人七年殺しあう
・パリ条約
1763 フランスの人南無三のパリ条約
→フランスは、サンピエール・ミクロン島以外全てのアメリカ植民地を失う。
→『植民地帝国』としてのイギリスの地位がかたまる(第一帝国とよぶ)
<インドでの英仏戦争>
・カーナティック戦争
イーナ獅子の世や、これ越して子は無敵一番(カーナティック戦争)
第1次:1744~48年→オーストリア継承戦争
第2次:50~54年→本国で対応する戦争なし:デュプレクス(仏)解任の原因
第3次:58~61年→七年戦争
・プラッシーの戦い→七年戦争
1757年 フランスの黒星一体何ん個なんだとプラッシー
<アメリカでの英仏戦争>
・ウィリアム王戦争
1689~97いろいろ約束権利の章典→ファルツ継承戦争
→1697 挑むわファルツの急な戦争
・アン女王戦争
1702~13 アン女王の援軍イーナ待つイーさ→スペイン継承戦争
・ジョージ王戦争
1744~48 イーナ獅子の世やジョージ王戦争→オーストリア継承戦争
・フレンチ=インディアン戦争
1755~63 イーナゴーゴーインディアン→七年戦争
→1763 フランスの人南無三のパリ条約
・奇蹟の年
1759年 イギリス軍イーナ御苦労奇蹟の年
*イギリスがアメリカ・インドのどちらでもフランスに勝利した年としてこう呼ばれる。
・アメリカ独立戦争
1775年
→独立宣言: 1776 アメリカもいーななろうよ独立国
→1778年 フランス参戦(唯一フランスが勝利した英仏戦争)
・フランス革命
1789年 イーナ約束人権宣言
・第1回対仏大同盟
1793 王の人なくさギロチンジャコバン派
・第2回対仏大同盟
1799 フランスの人泣く苦しい第二回
・アミアン和約
1802 ひと山ついにアミアン和約
*ナポレオン統領政府下のフランスとイギリスとが講和。
→翌年(03)、経済上の争いからイギリスがアミアン和約を破棄し、再びフランスに宣戦しました。
・トラファルガーの海戦(第3回対仏大同盟)
1805 欧州の人は起こせる第三回
*英露墺などを中心として結成。
*ネルソン率いるイギリス海軍がフランス海軍を破りました。
・大陸封鎖令
1806 皇帝の人は愚かな大陸封鎖
*ヨーロッパ大陸諸国がイギリスと通商することを禁じフランスの産業で大陸市場の独占をはかりました。
*広い海外市場をもち産業革命の進行中であった当時のイギリスは、それほどの打撃を受けませんでしたが、中立国アメリカ合衆国が大陸と貿易をおこなうことを許さず、海上封鎖を行ったため、これが米英戦争(1812~14)の原因となりました。
・パリ占領
1814 対仏の人はいよいよパリ占領
→ナポレオン、エルバ島に流される。
・ウィーン会議
1814 化け物の退治祝いよウィーン会議
・ワーテルローの戦い
1815 流されたはずの人入り込みワーテルロー
→ナポレオン、セントヘレナ島に流される。
*フランス革命の過程でオランダ本国がフランスに併合されたことで、その植民地もフランスに接収されます。アミアン和約の破棄後、制海権を得たイギリスはこれらを含めたフランス領を次々に奪っていきました。
・ナポレオン戦争中にイギリスが攻略した地域
<アジア・アフリカ> 1796年 蘭領セイロン→ウィーン会議後、正式に英領 1806年 蘭領ケープ植民地→ウィーン会議後、正式に英領 1809年 仏領セネガル→ウィーン会議後フランスに返還 1810年 仏領モーリシャス→ウィーン会議後、正式に英領 1810年 蘭領モルッカ諸島→ウィーン会議後オランダに返還 1811年 蘭領ジャワ→ウィーン会議後オランダに返還<南アメリカ大陸> 1803年 仏領ハイチ 1804年 仏領セントルシア→英領 1804年 蘭領ギアナ 1807年 蘭領アンティル諸島 1809年 仏領ギアナ 1809年 仏領マルティニーク *これらはウィーン会議後返還、セントルシアのみ英領とされました。 |
*ナポレオン戦争後、イギリスとフランスの対立はなくなり、基本的に両国は協調路線を歩むようになります。