『テンプレ世界史ーエジプトの変遷』のおまけページです。このページでは各王朝の成立した年と滅亡した年をゴロ合わせで覚えていきます。
音声で耳からも覚えやすいようにYouTubeに教材を上げています。こちらです。
また、ゴロ合わせの基本的なルール(規則)についてはこちらを参考にしてください。
① プトレマイオス朝エジプト (前304〜前30)
→アレクサンドリア
前304〜前30 帝国ローマの前去れよ去れプトレマイオス
↓
② ローマ帝国領 (前30)
→アレクサンドリア
↓
③ ビザンツ帝国 (東ローマ帝国)(395)
395 ローマ帝国柵こしらえて東西分裂
↓
④ イスラーム軍により征服される。(639)
639 ビザンツの次むさ苦しいイスラム支配
以後、ウマイヤ朝、アッバース朝 (スンナ派)の領土
『美味いヤバス超、トゥルンと言うシード』
↓
⑤ トゥールーン朝 (868〜905)
→フスタート(カイロ)
・アッバース朝の奴隷出身軍人の二世アフマド
→エジプト総督(半独立)
868 トゥールーンつるんでやろーや独立王朝
↓
(一時、アッバース支配回復)
↓
⑥ イフシード朝 (935〜969)
→フスタート(カイロ)
・アッバース朝のエジプト守備隊の軍人ムハンマド
→エジプト総督任命(半独立)
935 任された土地組み込んでイフシード朝
969 イフシード星黒くぬり滅亡す
↓
⑦ ファーティマ朝(シーア派)(909〜1171)
→チュニジアから マフディーア→カイロ
909 地中海のクマ牛耳るファーティマ朝
1171 もはやファティマのカリフを守る人いない
↓
⑧ アイユーブ朝 (1169〜 1250)
→カイロ
サラディン(サラー・フッディーン)北イラク出身
アルメニアのクルド一族の出自
→ファーティマ朝の宰相になり、スンナ派改革。
・最後のシーア派カリフの死後、アッバース朝カリフを認める宣言。
→マリク(王)を称する。
→サラディン死後、分権。
1250 エジプト支配は奴隷だった人にこれ。
マムルークのクーデターにより、滅亡。
↓
⑨ マムルーク朝 (1250〜 1517)
→カイロ
・いくつかの例外を除き、王位は世襲されずマムルークの有力者が王位についた。
・王朝の正統性を備える為にアッバース家の生き残りを迎えてカリフとする。
1509 以降苦しむマムルーク朝
→インドのディーウ沖でポルトガル海軍に
敗れる
1517 以後いなくなるマムルーク朝
→前年からオスマン帝国との戦争→敗れる
カイロを占領される。
→アッバース朝カリフ断絶
↓
⑩ オスマン帝国 (1517〜1805)
↓
⑪ ムハンマド・アリーによる近代化 (1805~)
↓
⑫ イギリスの保護国 (1914~)
↓
⑬ エジプト王国建国 (1922~)
1922 エジプトの人国つくりエジプト王国
全体像
*エジプト王朝の成立・滅亡年以外に、各王朝の首都、属したイスラーム教内での派閥 (スンニ派・シーア派の別)などを覚える総合ページです。
① エジプト王朝の首都は単純なのでまずこれをA段階とします。
② 次に属した派閥 (スンニ派・シーア派の別)をB段階とします。
③ 成立・滅亡年の語呂合わせについて簡単な説明をします。これがC段階です。
*A・B段階については基本的に上の『まとめ』を見て各自で覚えることになります。一応の説明ページがありますので必要な人はA段階・B段階のリンクをクリックしてください。
C段階