17世紀後半英蘭仏年語呂【年号ゴロ合わせ】(まとめ)

*これは年語呂年註-世界史版のひとつです。このページでは、17世紀後半の英蘭仏の戦争の歴史をゴロ合わせでおさえていきたいと思います。

*音声で耳から覚えるためYouTubeに教材を上げています。こちらです。文字だけではリズムをつかみにくいフレーズもスムーズに覚えられます。ぜひ一度聞いてみることをお勧めします。


・ルイ14世の即位
16431715 意見する人無視さイーナ以後
*宰相マザランの死後、親政を開始
(参考)1661 親政で朕は国家と広む人
*王族や貴族の影響を排除して、実力主義のもとコルベールなど平民出身の官僚も重用
(参考)1665 財務総監重商ひろむコルベール
コルベールはリシュリューの時代からの財政不振に重商主義(貿易差額主義)で取り組む
→国内産業の育成(王立工場設立・資金融資)、東インド会社の再建(海外植民地獲得を目指す→ポンディシェリ・シャンデルナゴル
(参考)1664 フランスもインドに広むよ植民地(フランス東インド会社再建)

・第1次英蘭戦争
1652年 対岸の人向こうにまわし英蘭戦争(~54)
*イギリス共和国(コモンウェルス)の時代
→『イギリスの国王【早覚え完成】B 【語呂ちょっと詳しめ解説】
*三次にわたる英蘭戦争(イギリス=オランダ戦争)はすべて2年と覚える。
ウェストミンスター条約(オランダが航海法を承認)

・ピレネー条約
1659年 災いの兆(きざし)色濃くピレネー条約
→三十年戦争以後も争っていたスペイン・フランス間の和平条約
→ルイ14世の王妃マリア=テレサがスペインから嫁ぐ際、スペインの財産相続権の放棄と引き換えに、フランスに対し莫大な『持参金』を払うことを約束。
→その後『持参金』は払われないままになっていた。
(後の南ネーデルラント継承戦争の口実となる)

・イギリス王政復古
1660年 一路群れなし王政復古
→クロムウェル死後の政情不安が続くイギリスで、絶対王政を復活しないことを条件にチャールズ2世が王政復古
→即位後、絶対王政の復活を模索する

・イギリス、新大陸のニューネーデルラントを侵略
1664年 オランダをむしろう新大陸

・第2次英蘭戦争
1665年 挑む向こうのアムステルダム(~67)
→『英蘭戦争年語呂
ブレダ条約(イギリスはニューネーデルラントを確保)

・南ネーデルラント継承戦争
16671668年 災い広むなむやみに攻め込むネーデルラント
*ルイ14世がピレネー条約を口実としてスペイン領南ネーデルラントに侵攻
→マリア=テレサの未払いの『持参金』の代償にスペイン領南ネーデルラントの領有を主張したもの。
→英蘭瑞三国同盟が結成され、フランスをけん制したことでフランスは撤退。
アーヘン和約(68)

・ドーヴァー密約
1670 いろんなお誘いドーヴァー密約
*ルイ14世がチャールズ2世との間に結んだ密約。対オランダ戦争で英仏が協力することになった。

・オランダ侵略戦争
167278年 各国がいろんな綱はり侵略戦争
*イギリスチャールズ2世とのドーヴァー密約、1672年、結ばれた仏瑞同盟を地固めにルイ14世がオランダに侵攻
→開戦の年、オランダ総督となったオラニエ公ウィレム3世の活躍により英仏の侵攻阻止
→イギリスが74年に離脱
ナイメーヘン条約(78)(フランスはスペイン領ネーデルラントの一部を獲得、オランダの独立承認)
→英仏二大強国からオランダを守ったウィレム3世の立場が強くなる。

・第3次英蘭戦争
1672 いろんな事由で第三次(74)
→ドーヴァー密約に従ってイギリス(チャールズ2世)がオランダに宣戦
→イギリス議会が戦費支出を拒否したためオランダと単独講和(~74)
ウェストミンスター条約(この時点でオランダが再占領していたニューネーデルラントをイギリスに完全に割譲)

・第2次ウィーン包囲
1683年 オスマンの人むやみに包囲失敗

・ルイ14世ナントの王令廃止
1685年 ご先祖の深意無やこれ王令廃止
→『王権神授説』に基づき、一国家一宗教(旧教カトリック)を目指す
→新教国オランダを刺激し、アウグスブルク同盟提唱の原因となる
→新教国オランダ・スウェーデンは、フランスと敵対する旧教国スペイン・神聖ローマとも同盟を結ぶ

・ファルツ継承戦争
(大同盟戦争/アウクスブルク同盟戦争/九年戦争)
1688~97年 挑むわファルツの急な戦争(9月~)
ライスワイク条約(97)

・名誉革命
1688 広場は無血の名誉革命(11月~)
*審査法を無視してカトリック復帰をめざすジェームズ2世に対しイギリス議会は結束してジェームズ2世排除をはかる
ジェームズ2世の娘メアリを妻とし、その母はチャールズ2世の娘であったオランダのウィレム3世に密使を送る
→英議会の要請にこたえ、ウィレム3世はオランダ軍を率いてブリテン島上陸
→国王軍がジェームズ2世の命令にこたえず、状況を不利と見たジェームス2世はフランスに亡命

・権利の章典
1689 いろいろ約束権利の章典
→議会の提示した『権利の宣言』を受け入れ、ウィレム3世と妻メアリは、
<共同統治のイギリス国王『ウィリアム3世・メアリ2世』として即位>
→ウィリアマイト戦争(1689年~1691年)
:アイルランド(ウィリアム3世に反対のカトリック勢力)
→1690年、ルイ14世がジェームズ2世を支援してアイルランドに侵攻
→ウィリアム3世に『ボイン川の戦い』で敗戦
→ジェームズ2世は結局、アイルランドから排除される

・ウィリアム王戦争
1689年5月→権利の章典の年(いろいろ約束権利の章典
*アメリカ大陸でのインディアンの帰属をめぐるイギリスとフランスの植民地戦争
~97年 ファルツ戦争終結の年まで続く。
→『挑むわファルツの急な戦争
*同じ頃、インドでポンディシェリのフランスと、マドラスのイギリスとの抗争激化

第二次英仏百年戦争年語呂

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