*これは『年語呂年註-世界史版』のひとつです。このページでは、イギリス、オランダの植民地をめぐる争いの原点となったとされる、アンボイナ島の歴史の概略をゴロ合わせでおさえていきたいと思います。
*音声で耳から覚えるためYouTubeに教材を上げています。こちらです。文字だけではリズムをつかみにくいフレーズもスムーズに覚えられます。ぜひ一度聞いてみることをお勧めします。
・アンボイナ島にポルトガル進出
1512 アンボン香料以後ひとえにポルトガル
・ネーデルラント連邦共和国成立
1581 以後は一つのネーデルラント
・オランダがアンボンのポルトガル人駆逐
1599 オランダがポルトガル人以後駆逐
・イギリス東インド会社
1600 人群れを海外おし出す東インド会社
・オランダ東インド会社
1602 品物を広う積み出すオランダ船
・イギリスアンボン進出
1615 イギリスも一路行こうやアンボイナ
・オランダ東インド会社バタヴィアを拠点
1619 広い区域をバタヴィア拠点
・英蘭で協定
1619 英蘭で色々引っくるめて協定
・アンボイナ事件
1623 イギリスの人無にされるアンボイナ
→以降、イギリスは東南アジアから完全に撤退しインドに力を傾注することになりました。
→また、当時イギリス・オランダ本国では両国の東インド会社を合併する交渉が進んでいたのですが、この事件で完全に頓挫しました。
〈アンボイナ事件顛末記〉
当時、オランダはニューヴィクトリア砦という所に城郭を構えて、アンボイナ島に支配権を打ち立てていました。
と言っても、初めからオランダの勢いが強かったというのでありません。 初めはポルトガル人が、アンボイナ島の香料貿易を独り占めにして稼いでいたのです。 が、後からやってきたオランダが、ポルトガルを追い出してそのままアンボイナ島に居座ってしまいました。 つまり、横どり的に支配権を手に入れた訳です。 一方で、遅ればせながら、新参者のイギリス商人も進出して来て、香料貿易でオランダと競い合う構えを見せていました。 当然『争い』になるわけです。 こういうのは血の気の多い、現場の人間に任せていては、事態が拡大してしまう。 で、本国であるイギリス・オランダ両政府が話し合いで手打ちをやるべき話、となります。 1619年に、まあ問題はあるけども、色々引っくるめて丸くおさめようやと協定にこぎつけます。 内容は、 ① もともとオランダが古参なんやから、ここのもうけはオランダが2/3、イギリスが1/3がいい塩梅(あんばい)やな、というのが一つ目。 ② 今までの時点で、この周辺の征服した土地は、イギリスのはイギリスのもん、オランダのはオランダのもんとしとこうや。 これは当然として、これから先、征服した土地は、イギリス・オランダで半分、半分ってことにしようやないか、というのが二つ目です。 まあ、お互い仲良くいい思いしようや!ということでしょう。 が、こういう単純な議論が出来るのは、実際に現地で汗をかいてない奴らならではであったりします。 オランダの現場の輩は、見事にこの協定を無視して取引を続けます。 フザケンナヨ。 ということでしょう。 もちろん、約束を守っていこうと思っていたイギリスの側も激怒します。 ときに、イギリスの雇っていた日本人傭兵『七蔵』というのがいました。 これが、オランダの衛兵に対して尋ねます。 七: この城壁は、内側の仕組みどうなってんの? 七: オランダの兵隊は、数はどんくらいいんの? みたいなことをしきりに聞き出そうとする。 んで、オランダ方は、コイツ怪しい!ってことになって、七蔵を捕らえて、拷問にかけます。 七蔵は、こいつぁ堪らん、ということで、実はイギリス人がオランダの砦を襲撃する計画を立ててるんですよっ!てことを吐いてしまう。 この言質をとったことで、逆にオランダ方は一気に猛攻に出てイギリスの商館を襲います。 イギリスの商館長以下30名を引っ捕えてきて、こいつらに対しても火責め、水責め、手脚切断と、あらゆる残酷な手段を尽くして、拷問にかけます。 そうして結局、イギリス方の陰謀を無理やり認めさせてしまいました。 もちろん、その後、イギリス人たちの命が助かる訳もなく 『怪しからん奴らや!』 ということで、イギリスの商館員たちは、片っ端から首をはねられて殺されてしまいました。 その結果、アンボイナ島からはイギリス商人は完全に締め出され、オランダが島の権益を独り占めすることになった訳です。 イギリスの人無にされるアンボイナ、でこれが1623年のことです。 |