*これは『年語呂年註-世界史版』のひとつです。このページでは、イギリス・アメリカの産業革命の歴史の概略をゴロ合わせでおさえていきたいと思います。
*音声で耳から覚えるためYouTubeに教材を上げています。こちらです。文字だけではリズムをつかみにくいフレーズもスムーズに覚えられます。ぜひ一度聞いてみることをお勧めします。
・ダービーが、コークスを使って鉄鉱石製錬
1709 製鉄にコークスいーなと置くダービー
*エイブラハム・ダービーは、当時、不足していた木炭に代わって、コークスを使った鉄鉱石の製錬に成功し特許を取りました。
・ニューコメンが鉱山排水のため蒸気機関利用
1712 この期間以内に成功蒸気機関
〈この頃(1720)から以降100年『第二次囲い込み』が進行〉
・ジョン=ケイが飛び杼を発明
1733 いーなさっさとジョンケイ飛び杼
*それまで、縦糸に対して両手を使って通していた横糸の『杼(ひ)』を、ヒモを上下に引っ張るだけで『杼(ひ)』を飛ばして通せるようになりました。これによって、綿布の生産の効率が上がりました。
・ハーグリーヴズが多軸紡績機(ジェニー紡績機)発明
1764 糸不足非難無用とハーグリーヴズ
*飛びひの発明で織物生産の効率が上がったことにともなって、原材料である綿糸の不足が起こってきます。これに対応するものとして説明されるのが、糸をつむぐ紡績機の発明です。ジェニー紡績機の発明で、1人の工員が多数の糸車を一度に操作できるようになりました。
・アークライト水力紡績機
1769 水力、紡績イーな向く
*水は『アクア』なので『アーク』の頭出しが出来ますね。水車を動力源としジェニー紡績機よりも強い糸を作れる紡績機です。
・ワットが蒸気機関を改良
1769 蒸気力、馬力の代わりにイーな向く
*ワットがニューコメンの蒸気機関を改良し特許を取ります。ワットの蒸気機関によって、炭鉱で働く馬の代わりの動力、紡績機や力織機などに広く応用することが可能になりました。力の大きさを『馬力』で測ることはワットがはじめました。
・イギリス機械輸出を禁止
1774 大事な機械はイーナなしよと輸出を禁止
・アダム=スミス『国富論』
1776 レッセフェールがいーななろうよ国富論
*保護貿易主義を批判し、自由貿易を主張→『神の見えざる手』
・クロンプトン、ミュール紡績機
1779 クロ馬の様にいななく紡績機
*ジェニー紡績機と水力紡績機をよいところを組合せて、強い糸が大量に作れるようにしました。『ミュール』は英語で、ウマとロバの合いの子、ラバのことです。ジェニー紡績機と水力紡績機の『合いの子』なのでこうした名前になりました。『クロ』から『クロンプトン』を引き出します。
・カートライトの力織機
1785 いー?名はこーや力織機
*それまでの手織り機に代わって機械動力型の織機を発明。ただ、当時はまだ、飛び杼の原理をそのまま使っていました。
*力織機の『力』はカートライトの『カ』と覚えます。
・ホイットニー綿繰り機を発明(米)
1793 沢山の人無くさっと綿繰り機
*アメリカ南部の奴隷制度定着はこの綿繰り機の発明があったからこそのものと言われます。
・フルトン蒸気船発明(米)
1807 ひと晴れ並んで蒸気船
・スティーヴンソンが蒸気機関車(英)
1814 機関車スティームいっぱいよ
・イギリス機械輸出解禁(英)
1825 イギリスがイーワと都合で輸出解禁
・リヴァプール・マンチェスター間鉄道開通(英)
1830 まだ知らぬ一般も見れ鉄道開通
・モールス有線電信機発明(米)
1837 遠くても電信つながる人は皆
→翌年には『・』と『-』の組み合わせで文字を伝えるモールス信号が作られました。
・アメリカ議会電信に予算計上
1843 合衆国電信イーワと予算を当てる
*アメリカ合衆国が、ワシントンD.C.ボルチモア間の電信線敷設に予算を計上しました。